「再発がなければ強力な薬剤に切り替えなくていい」と考えていると、脳萎縮が年1%ずつ進行し、10年後に患者のADLが大幅に低下する可能性があります。

多発性硬化症(MS)の治療薬は、大きく「急性期治療薬」と「疾患修飾薬(DMT: Disease Modifying Therapy)」の2つに分類されます。急性期には高用量コルチコステロイド(メチルプレドニゾロン1g/日を3〜5日間静注)が用いられますが、長期的な疾患経過を変えるのはDMTの役割です。
DMTは作用機序ごとに整理すると選択基準が明確になります。現在日本で承認されているDMTは10種類以上あり、その作用機序は免疫調節・免疫抑制・リンパ球トラッフィキング阻害など多岐にわたります。
つまり「DMT=ひとくくり」では選べません。
以下に主要なDMTの分類を整理します。
| 分類 | 主な薬剤 | 作用機序 | 有効性レベル |
|---|---|---|---|
| 免疫調節薬 | インターフェロンβ(アボネックス®、ベタフェロン®)、グラチラマー酢酸塩(コパキソン®) | Th1/Th17抑制、制御性T細胞誘導 | 中等度 |
| フマル酸ジメチル | テクフィデラ® | Nrf2経路活性化、免疫細胞のアポトーシス | 中〜高 |
| スフィンゴシン1リン酸(S1P)受容体調節薬 | フィンゴリモド(イムセラ®/ジレニア®)、シポニモド(メーゼント®) | リンパ球の二次リンパ組織への隔離 | 高 |
| モノクローナル抗体 | ナタリズマブ(タイサブリ®)、オクレリズマブ(オクレバス®)、オファツムマブ(ケシンプタ®) | α4インテグリン阻害/CD20陽性B細胞除去 | 高〜最高 |
| 免疫再構築療法 | クラドリビン(マベンクラッド®)、アレムツズマブ(レムトラダ®) | リンパ球の選択的除去と再構築 | 最高 |
有効性が高い薬剤ほど副作用リスクも上がる傾向があります。これが基本です。
年再発率(ARR)の低下効果を比較すると、インターフェロンβが約30%なのに対し、ナタリズマブは約68%、クラドリビンは約58%(CLARITY試験)と報告されており、高効能薬の差は歴然です。
参考:日本神経学会「多発性硬化症・視神経脊髄炎スペクトラム障害診療ガイドライン2023」
https://www.neurology-jp.org/guidelinem/ms_nmsd.html
再発寛解型MS(RRMS)の治療戦略は、大きく「エスカレーション(段階的強化)戦略」と「インダクション(高効能薬早期導入)戦略」の2つに分かれます。どちらを選ぶかで、患者の5年後・10年後の身体機能が大きく変わります。
エスカレーション戦略とは、まず中等度有効性のDMT(インターフェロンβやグラチラマー酢酸塩など)から開始し、効果不十分な場合に高効能薬へ切り替える方法です。副作用リスクを最小限に抑えながら治療を進められる一方で、「見た目には再発がなくても、MRI上で病変が増加し続ける」という落とし穴があります。
これは見逃しやすい点です。
インダクション戦略は、診断初期から高効能薬(ナタリズマブ、オクレリズマブ、クラドリビンなど)を投与し、早期に強い免疫抑制をかける方法です。2023年に発表されたEvidences to Optimize MS(EVOLVE-MS)関連データでは、診断後5年以内にナタリズマブを導入した患者群は、段階的に移行した群と比べてEDSSの悪化リスクが約40%低かったという報告があります。
どちらの戦略が優れているかという単純な答えはなく、選択基準は以下のような患者因子で決まります。
「再発がないからDMTを変えなくていい」という判断は要注意です。MRI上の無症候性病変やBVL(脳萎縮速度)が進行しているケースでは、臨床的に再発がゼロでも治療強化の適応になる場合があります。
進行型MSは、再発型とは異なる病態メカニズムを持つため、使用できるDMTも限定されます。これが原則です。
二次進行型MS(SPMS)では、シポニモド(メーゼント®)が2021年に日本で承認されました。EXPAND試験では、シポニモドが障害進行リスクを21%低下させたことが示されており、活動性を持つSPMS患者(再発またはMRI病変活動性あり)に特に有効です。
一次進行型MS(PPMS)については、オクレリズマブ(オクレバス®)がORATORIO試験で障害進行リスクを24%抑制し、唯一PPMSへの適応を持つDMTとして2019年に日本で承認されています。
意外ですね。
ただし、オクレリズマブは投与前にB型肝炎スクリーニングが必須であり、HBs抗原陽性患者には原則禁忌です。また、投与開始前には生ワクチン接種を完了しておく必要があり、治療開始後は生ワクチンが使用できなくなります。
| 薬剤名 | 適応 | 主な試験 | 主要エンドポイント結果 |
|---|---|---|---|
| シポニモド(メーゼント®) | 活動性SPMS | EXPAND試験 | 3ヶ月CDP抑制 21%低下 |
| オクレリズマブ(オクレバス®) | PPMS・RRMS | ORATORIO試験 | CDP抑制 24%低下 |
| クラドリビン(マベンクラッド®) | 高活動性RRMS | CLARITY試験 | ARR 58%低下 |
進行型MSに対するDMTは「効果がないと思われがちな領域」ですが、早期介入によって10年スパンで見たADL維持に大きく貢献できます。
参考:オクレリズマブ(オクレバス)の適正使用ガイドおよびORATORIO試験の概要(中外製薬)
https://chugai-pharm.jp/hcp/medicine/ocrevus/
ナタリズマブ(タイサブリ®)は再発型MSに対して非常に高い有効性を持つ一方で、進行性多巣性白質脳症(PML)リスクが最大の課題です。PMLはJCウイルスの再活性化によって引き起こされる致死的・重篤な脳症で、死亡率は約20%、生存者の多くに重篤な後遺障害が残ります。
リスク管理が治療継続の鍵です。
PMLリスクは以下の3因子で決まります。
具体的には、JCウイルス抗体指数(Index値)が0.9未満なら低リスク、1.5以上かつ投与24ヶ月超の場合には「タイサブリ®継続の是非」を真剣に検討する必要があります。
ナタリズマブ長期投与中の患者で「抗体指数が1.5を超えた時点で即刻代替薬を検討する」というプロトコルを設けている施設も増えています。代替薬への切り替えの際には「ウォッシュアウト期間」の設定が重要であり、タイサブリ®中止後3ヶ月以内に新たなDMTを開始しないと、リバウンド現象(疾患活動性の急激な再燃)が起こるリスクがある点にも注意が必要です。
参考:バイオジェン「タイサブリ適正使用ガイドとJCVリスク層別化情報」
https://www.biogen.co.jp/ja_JP/our-medicines/tysabri.html
MS患者の約70%は女性であり、そのうち発症年齢の中央値は30〜35歳と、妊娠適齢期と完全に重なります。つまり、妊娠・授乳に関するDMTの使い分けは、臨床で最も頻繁に問われる場面の一つです。
グラチラマー酢酸塩(コパキソン®)とインターフェロンβは、妊娠中の安全性データが比較的蓄積されており、特に妊娠継続が必要な場合はグラチラマー酢酸塩が選択肢として挙がります。ただし、インターフェロンβは妊娠が判明した時点で原則中止が推奨されています。
一方、フィンゴリモドやナタリズマブは胎児への影響リスクが指摘されており、妊娠2ヶ月以上前からの中止が必要です。フィンゴリモドの場合、中止後2ヶ月間は有効な避妊が必須とされています。
これは必須の情報です。
クラドリビンおよびアレムツズマブは、投与後最低4〜6ヶ月間の避妊が求められており、治療スケジュールと妊娠計画を長期的に調整することが不可欠です。妊娠を希望する患者に対しては、少なくとも1年前から治療計画を見直す「プレコンセプションケア外来」の活用を検討する価値があります。
高齢者(特に60歳以上)のMS患者に対しては、免疫系の加齢変化(immunosenescence)により感染リスクが高まるため、高効能薬の選択には慎重さが求められます。フィンゴリモドでは徐脈・房室ブロックのリスクが心機能の低下している高齢者で顕在化しやすく、投与開始時に6時間以上の心電図モニタリングが義務付けられています。
| 薬剤 | 妊娠中の対応 | 授乳 | 注意事項 |
|---|---|---|---|
| グラチラマー酢酸塩 | 継続可(相談の上) | 可能性あり | 比較的安全性データ多い |
| インターフェロンβ | 判明次第中止推奨 | 原則禁忌 | 流産リスクの報告あり |
| フィンゴリモド | 禁忌 | 禁忌 | 中止後2ヶ月間避妊必須 |
| ナタリズマブ | 原則中止 | 禁忌 | 胎児に抗体移行の報告 |
| クラドリビン | 禁忌 | 禁忌 | 投与後6ヶ月避妊必要 |
| オクレリズマブ | 禁忌 | 禁忌 | 投与後12ヶ月避妊推奨 |
「MS患者の妊娠=治療中断」と短絡的に考えず、個々の疾患活動性・妊娠計画・希望を丁寧に聞き取ったうえで薬剤選択を行うことが、医療従事者に求められるアプローチです。
参考:日本MS学会・若年女性MS患者への情報提供資料(MSキャビネット)
https://www.ms-cabinet.jp/
近年、MSの治療目標として「NEDA(No Evidence of Disease Activity)」という概念が注目されています。NEDAとは「臨床的再発なし・EDSS進行なし・MRI病変活動性なし」の3つを同時に達成した状態を指します。さらに最近では「NEDA-4」として脳萎縮速度(BVL: Brain Volume Loss)を加えた4要素での評価が推奨されるようになっています。
これは重要な視点です。
一般的に、年間BVLが0.4%以上であれば疾患活動性ありとみなされ、薬剤変更の検討が推奨されます。健常者の自然な脳萎縮速度が年0.1〜0.3%であることを考えると、MSによる過剰な神経組織損失の大きさが理解できます。
つまり「臨床的に静かな患者」でもMRIで評価しなければ見逃しがあります。
具体的な管理の流れとしては、以下のようなプロトコルが参考になります。
血中NfL値は現在、一部の専門センターで保険適用外ながら測定可能であり、治療変更の判断や患者説明に活用する施設が増えています。
NEDA達成率はDMTによって大きく異なります。インターフェロンβでは約30〜40%であるのに対し、ナタリズマブでは約60〜70%、クラドリビンでは約47%(2年時点)と報告されており、この差が薬剤選択の根拠になります。
「今のDMTで再発がないからOK」ではなく、「MRIとバイオマーカーでNEDAを達成できているか」を定期的に評価することが、2020年代のMS管理における新たな標準といえます。
参考:The Lancet Neurology誌掲載「NEDA as a treatment target in MS」関連文献(PubMed)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/?term=NEDA+multiple+sclerosis+treatment+target