広域抗菌薬を使い続けるほど、患者さんの治療が安全になると思っていませんか?
感染症の初期治療において、原因菌が確定していない段階で抗菌薬を選択することを「経験的治療(エンピリック治療)」と呼びます。臨床現場では多くの場合、培養結果が出るまでに24〜72時間を要するため、この経験的治療が避けられません。つまり、感染臓器・推定原因菌・患者の耐性菌リスクの3つを素早く評価し、最適な薬剤を選ぶ判断力が医療従事者に求められます。
この段階で特に重要なのが、抗菌薬を投与する前に培養検体を採取しておくことです。血液培養、喀痰培養、尿培養などを先に採取しておけば、後から培養結果と感受性試験の結果に基づいてより狭域の薬剤へ変更できます。培養後投与の手順は当然のことのようですが、緊急性の高い現場では省略されがちなステップです。これを怠ると、治療を最適化するためのデータが永遠に得られません。
エンピリック治療の薬剤選択に際しては、患者個別の耐性菌リスク評価が不可欠です。直近90日以内の抗菌薬曝露歴、過去の耐性菌保菌歴、免疫抑制状態の有無、施設内のアンチバイオグラム(自施設の主要菌種の感受性データ)などが判断材料となります。「とりあえず広域で広くカバー」という思考は、短期的には安心感をもたらしますが、長期的には薬剤耐性の選択圧を高めるリスクがあります。リスクが低い場合は狭域から始めるという選択肢も、ガイドラインは明確に示しています。
アンチバイオグラムは各施設の微生物検査室が年1回以上作成を推奨されているツールです。自施設の主要な感染症に対して実際にどの抗菌薬が高い感受性を示しているかを把握しておくことで、エンピリック治療の精度が大幅に向上します。施設のアンチバイオグラムを活用するのが基本です。
アンチバイオグラム作成ガイドライン(AMR臨床リファレンスセンター)
De-escalation(デ・エスカレーション)とは、経験的治療で使用した広域抗菌薬を、培養・感受性試験の結果をもとに、より狭域の薬剤へ切り替えること(または中止すること)を指します。厚生労働省が2026年1月に改訂した「抗微生物薬適正使用の手引き 第四版」でも、この概念は入院患者の抗菌薬適正化の核として明確に位置づけられています。
重要なのは数字です。広域抗菌薬を投与し続けるごとに、薬剤耐性菌の発生リスクが1日あたり8%増加すると報告されています。これは単純に計算すると、5日間継続するだけで耐性菌発生リスクが40%以上積み上がっていくことを意味します。意外かもしれませんが、広域抗菌薬を「念のため長く」使い続けることは、患者を守るどころか、新たなリスクを生み出す行為になり得るのです。
De-escalationの実施には明確なタイミングがあります。培養結果で原因菌と感受性が判明した時点、または臨床的改善(解熱・炎症マーカーの低下・バイタルの安定化)が確認された時点が目安です。感染症の専門医や抗菌薬適正使用支援チーム(AST)が介入することで、De-escalationの実施率が大幅に改善するというデータも蓄積されています。
De-escalationは「治療を弱める」ことではありません。原因菌に最も効率よく効く薬剤に切り替えることで、副作用の軽減・医療コストの削減・耐性菌の抑制という3つのメリットが同時に得られます。「広域を維持する=安全」という思い込みを持っていたとすれば、今日それを修正しておく価値があります。
| 広域抗菌薬継続のリスク | De-escalation後のメリット |
|---|---|
| 薬剤耐性菌の選択・誘導 | 耐性菌の出現を抑制 |
| CDI(クロストリジウム腸炎)リスク増加 | 腸内フローラへの影響を最小化 |
| 副作用・腎障害の蓄積 | 不要な毒性リスクを排除 |
| 医療コストの増大 | 治療コストの最適化 |
抗菌薬の適正使用(MindsガイドラインライブラリーPDF)
抗菌薬の選択は「何を使うか」だけでなく、「どう使うか」が治療成否を大きく左右します。PK/PD(薬物動態/薬力学)理論は、抗菌薬の血中濃度と殺菌効果の関係を科学的に整理したフレームワークであり、現代の抗菌薬適正使用の土台となっています。
抗菌薬は作用機序によって大きく2つに分類されます。一つは時間依存性(β-ラクタム系・カルバペネム系など)で、MIC(最小発育阻止濃度)を超える時間が長いほど効果が高まります。もう一つは濃度依存性(アミノグリコシド系・フルオロキノロン系など)で、ピーク血中濃度がMICの何倍に達するかが効果の指標です。この違いを知らずに投与回数や間隔を決めると、治療効果が半減する可能性があります。
たとえばβ-ラクタム系抗菌薬を「1日1回大量投与」にしても、時間依存性であるため効果は上がりません。逆に、アミノグリコシド系を「1日3回に分割」すると、1回あたりの濃度が不十分になり殺菌効果が落ちます。正しい投与設計が条件です。
TDM(治療薬物モニタリング)は、バンコマイシン・アミカシンなどの血中濃度を実測し、個々の患者に最適な投与量を決定するプロセスです。2022年に改訂された「抗菌薬TDM臨床実践ガイドライン」では、バンコマイシンにおいてトラフ値ではなくAUC(時間・濃度曲線下面積)をモニタリングの指標とする方針に変更されています。この改訂を知らずに旧来のトラフ値管理を続けると、腎障害リスクが不必要に高まる可能性があります。厳しいところですね。
腎機能低下患者では薬物排泄が遅延するため、投与量・投与間隔の調整が必須です。eGFRやCCr(クレアチニンクリアランス)を正確に評価し、添付文書や腎機能別投与設計の参考資料を都度確認する姿勢が求められます。
抗菌薬TDM臨床実践ガイドライン2022(日本化学療法学会)
従来の抗菌薬適正使用は「なるべく狭域の薬剤を選ぼう(Narrower is Better)」という考え方が中心でした。しかし現在は、それに加えて「必要最小限の期間で治療を完結させる(Shorter is Better)」という視点がガイドラインにも明記されるようになっています。
市中肺炎を例に挙げると、かつては「1週間投与が標準」という認識が主流でした。ところが日本呼吸器学会の成人肺炎診療ガイドライン2024年版では、「1週間以内の比較的短期間の治療期間」が明記され、3〜5日間の投与でも臨床的に問題ないというエビデンスが反映されています。腎盂腎炎についても同様で、非複雑性の場合は菌血症を合併していても7日間の投与で十分というデータが示されています。2週間投与が標準だった時代とは大きく変わりました。
これは「手を抜いている」のではありません。積分的に考えると、抗菌薬への曝露量=(スペクトラムの広さ)×(投与期間)です。スペクトラムを狭くしても、投与期間が長ければ曝露量は増え続けます。つまり、Narrower is Betterで狭域薬に切り替えた後も、必要以上に長く使うと耐性菌の選択圧はかかり続けるのです。Shorter is Betterはその補完的な戦略として機能します。
以下は主な感染症における推奨投与期間の目安です。あくまでも目安であり、合併症や患者状態によって個別に判断が必要です。
| 感染症の種類 | 従来の目安 | 現在のエビデンスに基づく目安 |
|---|---|---|
| 市中肺炎(軽〜中等症) | 7〜10日 | 3〜5日(解熱後で判断) |
| 非複雑性腎盂腎炎(菌血症含む) | 14日 | 7日 |
| 非複雑性連鎖球菌菌血症 | 14日前後 | 5〜10日 |
| 急性下肢蜂窩織炎 | 7〜14日 | 急性炎症消失後3日 |
投与期間の最終判断には、プロカルシトニンなどの感染バイオマーカーの推移も参考になります。Shorter is Betterを実践する際に「いつ止めていいか判断しにくい」という声もありますが、バイオマーカーと臨床症状の組み合わせで判断することが現実的なアプローチです。これは使えそうです。
【感染症内科ドクターの視点⑧】一歩先行く抗菌薬適正使用(ictmate)
抗菌薬の選択と適正使用を個々の医師の判断だけに委ねるのは、現代医療では限界があります。そこで機能するのが、AST(Antimicrobial Stewardship Team:抗菌薬適正使用支援チーム)です。ASTは感染症専門医・感染管理薬剤師・臨床微生物検査技師・感染管理看護師などで構成される多職種チームで、院内の抗菌薬使用を横断的にモニタリングし、適正化を支援します。
ASTの介入効果は複数の研究で示されています。特に薬剤師が主導するASTの介入は、若手感染症医が単独で行う介入と比較しても遜色のない効果が得られるというデータも報告されています。日本でも、2017年度の診療報酬改定でAST加算が新設されたことにより、ASTの設置が制度的に後押しされています。多職種連携が原則です。
具体的なASTの活動内容には次のようなものがあります。
- 特定抗菌薬の届出・許可制の運用:カルバペネム系・抗MRSA薬など広域・高コスト薬の使用を事前申請制にし、適切な使用を促す。
- 血液培養陽性患者・耐性菌検出患者へのラウンド介入:培養結果が出た段階で担当医に情報提供し、De-escalationをサポートする。
- 投与期間の確認と中止介入:必要以上に長期間投与されている薬剤を早期に検出し、中止・変更の提案を行う。
- アンチバイオグラムの整備と共有:自施設の耐性菌サーベイランスデータを整備し、エンピリック治療の選択精度を向上させる。
ASTが存在しない施設、または体制が十分でない施設では、感染症専門医への遠隔コンサルテーションやICTとの連携強化が次の一手となります。つまり、施設規模にかかわらず「誰かが横断的に抗菌薬使用を見ている」仕組みを作ることが、AMR対策の土台です。
薬剤師の役割は処方監査にとどまりません。血中濃度のフォローアップ・腎機能による投与量調整の提案・副作用モニタリングなど、抗菌薬の安全かつ効果的な使用を多面的に支えられる存在として、ASTにおける薬剤師の重要性は年々高まっています。
抗菌薬適正使用支援プログラム実践のためのガイダンス(日本感染症学会)
「このまま適切な対策が取られなければ、2050年には全世界で年間1,000万人が薬剤耐性菌により死亡する」——これは誇張でも警告文句でもなく、厚生労働省「抗微生物薬適正使用の手引き 第四版(2026年1月改訂)」に明記されている試算です。2019年時点でもすでに、薬剤耐性菌が原因の死亡者数は年間約120万人に達しており、関連死亡を含めると約490万人に上ります。
日本の状況を見ると、経口の第3世代セファロスポリン系抗菌薬・フルオロキノロン系抗菌薬・マクロライド系抗菌薬の使用量が諸外国と比べて多いことが長年指摘されてきました。また、小児の肺炎でガイドラインに沿った抗菌薬処方を行っている病院は4分の1程度にとどまるというデータも存在します。多くの施設がまだガイドラインの浸透途中にあります。これが現状です。
一方で、診療所医師を対象としたアンケート調査では、抗菌薬適正使用の重要性に対する認識は高いものの、AMRアクションプランの認知度は低く、「不適切な処方が少なくない」という結果も示されています。知識として知っているのと、現場で実践できているかは別問題です。意外ですね。
AMR対策アクションプラン(2023-2027)では、2027年までに経口抗菌薬の使用量を2020年比でさらに削減する目標が掲げられています。この目標を達成するためには、個々の医療従事者がガイドラインを把握し、日常的な処方行動に落とし込んでいくことが必要です。感染症の治療は、その患者だけでなく、耐性菌の水平伝播を通じて「周囲の患者」「未来の患者」にも影響を及ぼします。それが感染症治療の他領域にはない特殊性です。
抗菌薬の選択ガイドラインを学ぶ目的は、「ルールを守ること」ではありません。目の前の患者を治すと同時に、将来有効な治療薬を残すという二重の責任を果たすことにあります。AMR問題に向き合う医療従事者の日常的な実践こそが、2050年の未来を変える力を持っています。
抗微生物薬適正使用の手引き 第四版 医科・入院編(厚生労働省 2026年1月)