既存の肺高血圧症治療薬はすべて「血管を広げる」薬ではありません。

肺高血圧症(PH)は、一見「肺の血圧が高い病気」というシンプルな印象を持たれがちですが、原因によってWHO分類では第1群〜第5群に分けられています。重要なのは、現在保険承認されている肺血管拡張薬の大部分が、第1群:肺動脈性肺高血圧症(PAH)と第4群:慢性血栓塞栓性肺高血圧症(CTEPH)のみに適応を持つという事実です。
第2群(左心性心疾患)や第3群(肺疾患・低酸素血症)には、肺血管拡張薬は原則として使用しません。理由は、全身の血管も拡張してしまい、かえって肺内シャントを増悪させるリスクがあるためです。つまり、群別診断を誤ると、せっかくの治療薬が患者さんの状態を悪化させかねません。群の確認が先決です。
各群の概要を整理すると、下記のとおりです。
| WHO分類 | 代表的な疾患・原因 | 肺血管拡張薬の使用 |
|---|---|---|
| 第1群(PAH) | 特発性・遺伝性・膠原病・先天性心疾患 関連など | ✅ 適応あり |
| 第2群 | 左心不全、弁膜症など | ❌ 原則使用せず |
| 第3群 | COPD、間質性肺疾患、低酸素など | ⚠️ 限定的(一部吸入薬) |
| 第4群(CTEPH) | 慢性血栓塞栓性(血栓が器質化) | ✅ 適応あり(一部薬剤) |
| 第5群 | 血液疾患・代謝疾患など複合要因 | ⚠️ 個別判断 |
PAHは国内の指定難病に指定されており、受給者証所持数は2004年の約750例から2023年には4,682例に増加しています。患者数の増加とともに、治療薬の選択肢も急速に拡充されてきました。
右心カテーテルによる確定診断と群分類が、すべての治療選択の起点になります。
参考情報:国立循環器病研究センターによる肺高血圧症の分類・症状・治療の詳細解説
肺高血圧症|国立循環器病研究センター
肺動脈性肺高血圧症(PAH)の薬物治療は、現在4つの作用経路に基づいて体系化されています。それぞれの経路でどの薬が使えるかを把握することが、現場での迅速な判断につながります。
① エンドセリン(ET)受容体拮抗薬(ERA)
エンドセリン-1は強力な血管収縮物質です。ERAはその受容体をブロックすることで肺動脈を拡張します。PAH専用であり、CTEPHへの適応はありません。
| 一般名 | 商品名 | 特徴 |
|---|---|---|
| ボセンタン水和物 | トラクリア® | ETA・ETB両方を拮抗。月1回の肝機能検査が必須 |
| アンブリセンタン | ヴォリブリス® | ETA選択的。ボセンタンより肝毒性が低いとされる |
| マシテンタン | オプスミット® | 組織移行性が高く、リモデリング抑制効果も期待 |
🔴 ボセンタンは添付文書の警告欄に「投与前および投与中は少なくとも月1回の肝機能検査を実施すること」と明記されています。これは他のERAより高頻度です。見落とすと重大な肝機能障害につながるリスクがあります。
② NO/cGMP経路(PDE5阻害薬 & sGC刺激薬)
一酸化窒素(NO)→ sGC → cGMP → 血管拡張、というカスケードに作用します。PDE5阻害薬はcGMPの分解を抑制し、sGC刺激薬はcGMPの産生を増やします。
| 一般名 | 商品名 | 分類 | 適応(PAH/CTEPH) |
|---|---|---|---|
| シルデナフィル | レバチオ® | PDE5阻害薬 | PAHのみ |
| タダラフィル | アドシルカ® | PDE5阻害薬 | PAHのみ |
| リオシグアト | アデムパス® | sGC刺激薬 | PAH・CTEPH両方 |
⚠️ PDE5阻害薬とsGC刺激薬(リオシグアト)は絶対に併用できません(添付文書上の「禁忌」)。いずれもcGMPを増加させる機序を持ち、相加的な血圧低下により重篤な低血圧を招く恐れがあります。カスケードが同じというのが禁忌の本質です。
③ プロスタサイクリン(PGI₂)経路
内因性プロスタサイクリンは肺動脈を拡張し、血小板凝集を抑制します。製剤によって投与経路が大きく異なります。
| 一般名 | 商品名 | 投与経路 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| エポプロステノール | フローラン® | 静注(持続) | 半減期2〜3分。24時間持続点滴必須 |
| トレプロスチニル | レモデュリン® | 皮下注・静注 | 半減期が長い。皮下注も可 |
| トレプロスチニル | トレプロスチニル吸入 | 吸入 | 肺へ直接到達。局所性が高い |
| イロプロスト | ベンテイビス® | 吸入 | 1日複数回の吸入が必要 |
| ベラプロストナトリウム | ドルナー®、プロサイリン® | 内服 | 最も簡便。ただし適応は「PAH(旧:原発性肺高血圧症)」に注意 |
| セレキシパグ | ウプトラビ® | 内服 | IP受容体作動薬。PAH・CTEPH両方に適応 |
エポプロステノールは、日本で1999年に最初に承認されたPAH治療薬です。半減期が非常に短く、投与が途中で止まると急激な肺血管収縮が起こる可能性があるため、カテーテルの管理と患者教育が極めて重要です。これが最も管理の難しい薬剤といえます。
④ アクチビンシグナル経路(新機序)
| 一般名 | 商品名 | 投与経路 | 発売 |
|---|---|---|---|
| ソタテルセプト | エアウィン® | 皮下注(3週ごと) | 2025年8月18日 |
ソタテルセプトは世界初のアクチビンシグナル伝達阻害薬(ASI)であり、従来の血管拡張薬とは根本的に異なる機序を持ちます。次のセクションで詳しく解説します。
参考情報:肺高血圧症治療薬の種類・適応・併用禁忌の一覧(薬剤師向け解説)
PDE-5阻害薬とsGC刺激薬は併用禁忌? | くすりの勉強
2025年8月18日に発売されたソタテルセプト(エアウィン®)は、PAH治療の概念を塗り替えつつある薬剤です。これまでの3経路に加わる「第4の柱」として位置づけられています。
従来の治療薬はすべて「血管収縮を抑える」ことで肺動脈圧を下げるものでした。ところがPAHは、病態が進行するにつれて血管収縮だけでなく、血管壁の細胞が異常増殖する「肺血管リモデリング」が主体になっていきます。この細胞増殖を既存の薬では止められなかった点が、長年の課題でした。
ソタテルセプトはアクチビンとGDF11などのリガンドを捕捉することで、過剰な細胞増殖シグナルを抑制します。つまり「血管を広げる」のではなく、「血管が狭くなる原因そのものを抑える」薬です。この発想の転換が重要です。
海外第III相STELLAR試験では、主要評価項目である肺血管抵抗(PVR)と平均肺動脈圧(mPAP)を大幅に改善しました。また、重症患者を対象としたZENITH試験では、全死亡・肺移植・PAH悪化による入院の複合エンドポイントのリスクが有意に低下しています。
薬価は45mgで108万2,630円、60mgで144万1,677円(1瓶あたり)と高額です。ただし、PAHは指定難病のため、患者さんは難病医療費助成制度の対象となります。
現行の治療ガイドライン(2025年改訂版)では、ソタテルセプトは中リスク以上の患者への追加療法として推奨クラスIIaに位置づけられています。初期治療として単剤で使うものではなく、既存の肺血管拡張薬で効果が不十分な場合の「上乗せ」が基本です。
用法・用量は「初回0.3mg/kg皮下注、2回目以降は0.7mg/kgに増量、3週間ごとに投与」であり、3週ごとの通院が必要になります。主な副作用として頭痛、鼻出血、毛細血管拡張症が報告されています。新時代の始まりです。
参考情報:ソタテルセプト(エアウィン)発売に伴う専門医解説レポート
肺高血圧症へのソタテルセプト、中リスク以上なら追加検討を/MSD|ケアネット
肺高血圧症治療薬の中で最も注意が必要なのは、薬剤間の「併用禁忌」の多さです。薬剤が増えれば増えるほど組み合わせのリスクが高まります。現場での確認が絶対に欠かせない組み合わせを整理します。
🔴 絶対に避けるべき主な併用禁忌の組み合わせ
| 薬剤 | 併用禁忌の相手 | 理由 |
|---|---|---|
| シルデナフィル・タダラフィル(PDE5阻害薬) | 硝酸薬・NO供与剤(ニトログリセリン等) | 過度な血圧低下 |
| シルデナフィル・タダラフィル(PDE5阻害薬) | リオシグアト(sGC刺激薬) | cGMP増加による重篤な低血圧 |
| リオシグアト(sGC刺激薬) | 硝酸薬・PDE5阻害薬 | 同上 |
| ボセンタン | シクロスポリン・グリベンクラミド | 薬物相互作用(血中濃度上昇・低血糖) |
| マシテンタン | リファンピシン等CYP3A4強誘導薬 | 血中濃度の大幅低下 |
| リオシグアト | アゾール系抗真菌薬(イトラコナゾール等) | 血中濃度上昇による過剰作用 |
2024年9月には、マシテンタンとタダラフィルを合わせた配合錠「ユバンシ配合錠」が承認されました。服薬錠数を減らせる点でアドヒアランス改善が期待できますが、2成分分の禁忌が合算されることになるため、禁忌のチェック項目はむしろ増えます。
また、慢性心不全治療薬として使われるベリキューボ(ベルイシグアト)も同じsGC刺激薬であり、肺高血圧症治療薬のリオシグアト(アデムパス)との「同種同効薬の併用禁忌」が添付文書に記載されています。心不全合併患者を担当する場合は、特に注意が必要な組み合わせです。
β遮断薬も見落とされやすいポイントです。一般的な心不全には使われますが、「肺高血圧症による右心不全」には禁忌となっています。右室の代償的な収縮力を低下させることで症状が悪化する可能性があります。心不全だからといって安易にβ遮断薬を追加しないことが原則です。
禁忌チェックは処方受付のたびに行うのが基本です。
薬剤の種類と適応を把握するだけでなく、実臨床でよく問題になるのが「そもそも診断が遅い」という現実です。この視点は、一覧表や教科書にはなかなか載りません。
久留米大学の福本義弘氏が指摘しているように、PAHの確定診断に至るまでの期間は平均20.2ヵ月を要します。半年や1年ではなく、約1年半から2年かかるケースが珍しくありません。息切れを「運動不足」や「加齢」と判断してしまうことが遅延につながっています。
若年者の息切れに対してエコー検査が実施された割合は50.4%にとどまります。約半数の患者で、心エコー検査という基本ツールがスキップされていたことを意味します。意外な数字です。
現場でPAHを疑うべき場面として、以下のサインに注目する習慣が診断の早期化につながります。
- 💨 労作時の息切れが徐々に悪化している(特に若い女性)
- 💓 安静時でも脈拍が100回/分を超えている
- 🫀 心音でII音の亢進が聞かれる
- 📋 原因不明の右室肥大・右軸偏位(心電図)
- 🔬 NT-proBNPや脳性ナトリウム利尿ペプチドの軽度上昇
福本氏は「心エコーをすぐに実施できなくても、心電図と胸部X線だけでも経時的にフォローしてほしい」と強調しています。この2つは外来でも比較的すぐに実施できる検査です。あとは気づきと習慣の問題です。
治療開始が早いほど、肺血管リモデリングが進行する前に介入できます。重症化してから治療を始めるより、低リスク・中リスク段階での治療開始が予後を大きく左右します。2025年改訂ガイドラインでは、診断後3〜4ヵ月でのフォローアップ評価が推奨されており、治療効果の早期判断と薬剤追加の判断を迅速に行うことが求められています。
なお、PAHは肺動脈血栓内膜摘除術(PEA)が根本治療となるCTEPHとは異なり、外科的根治は肺移植を除いて存在しません。薬物療法による長期管理と密なフォローが基本となります。適切な施設への紹介も重要な役割の一つです。
参考情報:2025年改訂版 日本循環器学会の肺高血圧症ガイドライン(PAHリスク層別化・治療アルゴリズム収載)
PAHのリスク評価|2025年改訂ガイドライン対応|MSD Connect