肺血管拡張薬なのに、IPF患者の肺機能を有意に改善します。

トレプロスチニルはプロスタサイクリン(PGI₂)を化学的に安定化させたPGI₂誘導体で、日本では持田製薬株式会社が「トレプロスト®吸入液1.74mg」として販売しています。国内ではまず2014年に注射剤が、2022年12月に吸入剤が肺動脈性肺高血圧症(PAH)治療薬として承認を受け、さらに2024年9月には「間質性肺疾患(気腫合併肺線維症を含む)に伴う肺高血圧症(ILD-PH)」を効能・効果に追加する形で、本邦初のILD-PH治療薬として承認されました。これはまさに歴史的な一歩です。
ILD-PHとは、間質性肺炎などの間質性肺疾患(ILD)に肺高血圧症(PH)が合併した病態です。ILD患者の約20%が肺動脈圧上昇を呈し、IPF重症患者では30〜60%にPH合併が報告されています。さらに深刻なのは予後への影響で、IPFにPH(平均肺動脈圧≧25mmHg)が合併した患者の1年死亡率は28.0%にのぼり、非PH患者の5.5%と比較して有意に高いという海外データもあります。生存期間中央値にして20.8ヶ月 vs 37.5ヶ月という国内報告も存在します。ILD-PHは単なるILDの合併症ではなく、独立した生命予後規定因子といえます。
薬理学的には、トレプロスチニルはIP受容体のみならず、EP2受容体やDP1受容体にも高い親和性を示します。これらはいずれもGs蛋白質共役型受容体であり、細胞内cAMPの上昇を介して血管平滑筋の弛緩・血管拡張・血小板凝集抑制・細胞増殖抑制などの多面的な作用を発揮します。特にEP2受容体への強力な結合は、後述する抗線維化作用との関連でも注目されています。
吸入剤の大きな利点は、標的臓器である肺への直達性にあります。TD-300/Jネブライザで霧化されたトレプロスチニルの空気力学的粒子径中央値(MMAD)は2.0±0.3µmで、換気領域に優先的に送達されます。全身曝露が少なく副作用を軽減できる一方、換気/血流比(V/Q比)を均衡化させることで、低酸素血症の悪化を招きにくいという特性があります。これはILD-PH患者にとって重要なメリットです。
つまり吸入経路の選択は、単なる投与形態の話ではありません。
参考資料:吸入プロスタサイクリン誘導体製剤トレプロスチニルの特徴及びILD-PHにおける臨床成績(診療と新薬2024)
https://www.shinryo-to-shinyaku.com/db/pdf/sin_0061_10_0651.pdf
ILD-PHに対するトレプロスチニル吸入液の有効性を世界に示したのが、米国主導のINCREASE試験(海外第Ⅱ/Ⅲ相試験)です。この試験は特発性間質性肺炎(IIP)、気腫合併肺線維症(CPFE)、結合組織病に伴うILD(CTD-ILD)、慢性過敏性肺炎(CHP)、職業性肺疾患など多様なILD病型を合計326例(トレプロスチニル群163例・プラセボ群163例)に無作為割付した16週間の多施設共同二重盲検プラセボ対照試験です。
主要評価項目である「16週時のピーク時6分間歩行距離(6MWD)のベースラインからの変化量」は、トレプロスチニル群で中央値+6.0m、プラセボ群で−9.0mとなり、両群間の差は21.0m(95%CI:7.0〜37.0m、p=0.0043)で、統計学的に有意でした。数字だけ見ると「21mの差」と感じるかもしれませんが、この疾患群のベースライン6MWDが平均約254〜265mであることを踏まえると、プラセボ群が着実に低下する中でトレプロスチニル群は維持・改善したという大きな意義があります。
さらに重要な知見として、NT-proBNPの変化が挙げられます。トレプロスチニル群ではベースラインから15%低下したのに対し、プラセボ群では46%上昇(治療比0.58、95%CI:0.47〜0.72、p<0.001)という明確な差が示されました。NT-proBNPの上昇は右心負荷を反映する指標であり、この結果はトレプロスチニルが血行動態的にも肺循環を改善していることを示します。
臨床症状悪化(心肺疾患による入院、6MWDのベースラインから15%超の低下、あらゆる原因の死亡、肺移植のいずれか)の発現割合は、トレプロスチニル群22.7%(37例)、プラセボ群33.1%(54例)で、ハザード比0.61(95%CI:0.40〜0.92、p=0.0202)でした。臨床的悪化リスクが39%低下した、という事実は見逃せません。
国内では非盲検非対照の第Ⅱ/Ⅲ相試験としてILD-PH患者20例(うちCPFEを含む)を対象に試験が実施されました。主要評価項目である「16週時のPVRI変化率」「6MWDの変化量」ともに改善が認められ、安全性も確認されたことで、2024年9月の国内承認に至りました。小規模試験ではありますが、日本人集団でのデータが蓄積された点に意義があります。
参考資料:持田製薬 国内第Ⅱ/Ⅲ相試験(ILD-PH)試験概要
https://med.mochida.co.jp/medicaldomain/circulatory/treprost-inhalation/clinicalstudy2/
2026年3月11日付でNEJM(The New England Journal of Medicine)オンライン版に掲載されたTETON-2試験の結果は、トレプロスチニルの新たな可能性を世界に示しました。これは大きな転換点です。
TETON-2試験は、日本を含む16ヵ国107施設で実施された第Ⅲ相二重盲検無作為化プラセボ対照試験で、特発性肺線維症(IPF)患者593例を吸入トレプロスチニル群(298例)とプラセボ群(295例)に無作為割付し、52週間追跡しました。ポイントは「肺高血圧症の合併の有無を問わず、IPFそのものへの効果を評価した」点です。平均年齢71.7歳、男性が80.1%、75.4%の患者がニンテダニブまたはピルフェニドンを背景治療として使用していました。
主要評価項目である「52週時のFVC変化量(絶対値)」は、トレプロスチニル群−49.9mL(95%CI:−79.2〜−19.5)に対し、プラセボ群−136.4mL(95%CI:−172.5〜−104.0)で、群間差は95.6mL(95%CI:52.2〜139.0、p<0.001)と統計学的に有意でした。FVC 95.6mLという差は、A4用紙で例えると約0.1枚の空気量に当たりますが、肺機能の観点では、IPF患者の「呼吸の余力」を半年以上分保つほどの差です。
臨床的悪化(全死因死亡、呼吸器系入院、%FVC 10%以上の低下の複合エンドポイント)もトレプロスチニル群27.2%(81例)・プラセボ群39.0%(115例)で、ハザード比0.71(95%CI:0.53〜0.95、p=0.02)と有意差が示されました。さらに注目すべきは、抗線維化薬(ニンテダニブ・ピルフェニドン)を使用していても使用していなくても、すべてのサブグループでトレプロスチニルの効果が一貫して認められた点です。既存の抗線維化治療への上乗せ効果が期待できます。
なお、急性増悪・死亡率については有意差には至りませんでした。また試験薬の中止率はトレプロスチニル群33.6%、プラセボ群24.7%とやや高く、主な理由として咳嗽・呼吸困難・頭痛が挙げられています。忍容性の課題は残ります。
このTETON試験シリーズは、TETON-1(米国・カナダのIPF患者対象)とTETON-PPF(進行性肺線維症患者対象)も進行中で、TETON-1の結果は2026年前半公表予定です。米FDAへのIPF適応追加申請(sNDA)に向けて、トレプロスチニルの領域がさらに広がる可能性があります。
参考資料:特発性肺線維症への吸入トレプロスチニルがFVC低下を抑制(ケアネット・NEJM 2026年3月)
https://www.carenet.com/news/journal/carenet/62502
参考資料:TETON-2試験の臨床解説(lung-dr.com)
https://lung-dr.com/ipf_trepro/
用法・用量は適応症によって異なります。それが原則です。
ILD-PHに対する用法・用量は「通常、成人に1日4回ネブライザを用いて吸入投与。1回3吸入(18µg)から開始し、忍容性を確認しながら3日以上の間隔で1回1吸入ずつ最大12吸入(72µg)まで漸増する」です。PAH適応の場合は1回3吸入ずつ漸増・最大9吸入(54µg)というルールであり、ILD-PH適応では最大用量・増量幅がともに異なります。適応ごとに確認が必須です。
吸入には必ずTD-300/Jネブライザを使用します。吸入間隔は約4時間あけるのが原則です。投与1回あたりの時間はおよそ2〜3分程度で、1日4回のトータル吸入時間は10分前後になります。患者の生活リズムとのすり合わせが継続率に影響します。
増量時の忍容性管理には特に注意が必要です。主な副作用として咳嗽(INCREASE試験で41.1%)、頭痛(22.7%)、呼吸困難(16.6%)、浮動性めまい(13.5%)、咽喉刺激感(12.3%)が報告されています。これらの多くは軽度〜中等度ですが、忍容性に問題があると判断した場合は1回最小量の1吸入まで減量することも認められています。増量を焦らず、段階的に行うことが継続率を上げる鍵です。
肝障害を有する患者では、重症度に応じて1回1〜2吸入から開始し慎重に増量する必要があります。また、一般的に経口や注射での全身投与型肺血管拡張薬は、ILD-PH患者においてV/Q比不均衡を増悪させ酸素化を悪化させるリスクがあります。吸入投与であるトレプロスチニルはその点で有利ですが、「ILDおよびPH両者に対する十分な知識と経験を有する医療機関」での治療決定が強く推奨されています。
| 項目 | ILD-PH | PAH |
|---|---|---|
| 開始用量 | 1回3吸入(18µg) | |
| 増量幅 | 1吸入ずつ(3日以上間隔) | 3吸入ずつ(7日以上間隔) |
| 最大用量 | 12吸入(72µg) | 9吸入(54µg) |
| 吸入回数 | 1日4回(約4時間間隔) |
副作用が出た際の対応として、吸入後のうがいや口腔内ケアが推奨されています。咳嗽が持続する場合は吸入方法の再確認も有用です。投与中止後に症状が悪化・再発することがあるため、患者の状態を継続的にモニタリングし、必要に応じて用量調整・再投与を検討することが重要です。
参考資料:持田製薬 用法及び用量・患者指導資料
https://med.mochida.co.jp/medicaldomain/circulatory/treprost-inhalation/support/
ILD-PHの病態は単純な「肺血管の問題」ではありません。ILDによる肺実質・間質性肺病変の進行による肺血管床の減少、低酸素性肺血管攣縮、さらに肺血管内膜機能障害(収縮・拡張因子のアンバランス、血管内膜リモデリング、平滑筋細胞の肥大・増殖)が複合的に絡み合っています。PAHと同様の肺血管病変が生じていることも報告されており、これが肺血管拡張薬の有効性を期待させる根拠となっています。
しかし、ILD-PHに対して過去に複数の経口肺血管拡張薬が試みられ、いずれも主要評価項目の有意な改善を示せなかった歴史があります。一部の試験は安全上の理由から途中中止されています。経口・静注の肺血管拡張薬は全身投与となるため、換気されていない肺領域にも血流を増やしてしまうことがあり、V/Q比不均衡を悪化させて低酸素血症を増悪させるリスクがあります。これは深刻な問題です。
一方、吸入トレプロスチニルは換気領域に優先的に送達されるため、換気されている肺胞周囲の血管を選択的に拡張し、V/Q比の均衡化が期待できます。また肺内での薬物濃度を高めながら全身曝露を最小化できるのも吸入ならではの利点です。この薬理学的合理性こそが、ILD-PH唯一の承認治療薬となった理由といえます。
欧州のPHガイドラインでは、重症ILD-PH患者に対するPDE5阻害薬の考慮余地に加え、ILD-PH患者全般への吸入トレプロスチニルによる治療が「検討可能」として明記されました。ただし「専門施設における個別的な評価と治療決定が必要」という条件付きです。ILD-PHはあくまで専門家チームが関わる疾患です。
この文脈で重要なのは、既存の抗線維化薬(ニンテダニブ・ピルフェニドン)との位置づけです。これらはILD(特にIPF)の線維化進行を遅らせますが、肺高血圧症の治療効果はありません。ILD-PHを合併した患者では、抗線維化薬に加えて吸入トレプロスチニルを組み合わせる治療戦略が考えられます。INCREASE試験においても、背景抗線維化療法(ピルフェニドン・ニンテダニブ)を受けていた患者でもトレプロスチニルの効果は保たれていました。
参考資料:日本呼吸器学会 肺病変を有する肺高血圧症診療ガイドライン2025
https://www.jrs.or.jp/publication/file/pulmonary_hypertension_2025.pdf
多くの医療従事者は、トレプロスチニルを「肺血管拡張薬」と分類しています。これは正確ではあります。しかし、この認識だけで止まると、ILD-PH合併のない純粋なIPF患者への活用という視点を見落とすことになります。
前臨床研究では、トレプロスチニルがIP受容体・EP2受容体を介したcAMPシグナル伝達を通じて、肺線維芽細胞の増殖や筋線維芽細胞への分化を抑制する可能性が示されています。この抗線維化作用の機序は、ニンテダニブやピルフェニドンとは異なるものです。作用機序が違うということです。
INCREASE試験の事後解析でも、吸入トレプロスチニル投与群でFVCの維持・低下抑制傾向が見られていました。この観察が、肺高血圧を合併しないIPF患者への試験(TETON-2試験)へとつながりました。そして2026年3月のTETON-2結果が示したように、FVC変化量の群間差95.6mL(p<0.001)という有意な効果がIPFそのものに対して示されたのです。
これは「血管拡張薬が肺線維化を抑える」という、これまでの常識を変えうる結果です。ただし現時点では、日本でのIPFへの適応は承認されていません。現状ではILD-PH(肺高血圧を合併したILD)のみが適応となります。米FDAへのIPF適応追加申請(sNDA)に向けてTETON-1の結果が2026年前半に公表予定であり、承認の可能性が現実味を帯びてきています。
臨床現場での活用を考えるうえで重要な点は、既存の抗線維化薬との使い分けと副作用プロファイルの差異です。ニンテダニブを使用中で下痢に悩む患者には、吸入トレプロスチニルの追加がより選択しやすい可能性があります。逆に、もともと咳嗽が強い患者には忍容性の問題が生じやすいため、ネランドミラスト(別の作用機序を持つ新規抗線維化薬)の方が適する場合もあります。患者ごとの副作用プロファイルに合わせた選択が、継続率を高める鍵になります。
IPFは生存期間中央値3〜5年とされる予後不良疾患です。今後、吸入トレプロスチニルが抗線維化薬として正式に位置づけられれば、ニンテダニブ・ピルフェニドン・ネランドミラストに次ぐ「第4の選択肢」として、特に肺高血圧合併患者での上乗せ治療という形で大きな役割を担う可能性があります。
参考資料:ネランドミラストに続く第4の抗線維化薬、吸入トレプロスチニルはIPFへも有効か(lung-dr.com)
https://lung-dr.com/teton2kaisetsu/

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