術後の吐き気止めに「いつものプリンペラン」を使うと、パーキンソン病患者は数時間で歩けなくなります。

パーキンソン病の治療薬であるMAO-B阻害薬は、脳内でドパミンを分解する酵素「モノアミン酸化酵素B型(MAO-B)」の働きを抑制することで、シナプス間隙のドパミン濃度を維持する薬剤です。現在、日本では3種類のMAO-B阻害薬が臨床で使用されています。
| 一般名 | 商品名 | 術前休薬期間 |
|---|---|---|
| セレギリン塩酸塩 | エフピーOD錠 | 14日 |
| ラサギリンメシル酸塩 | アジレクト錠 | 14日 |
| サフィナミドメシル酸塩 | エクフィナ錠 | 14日 |
これらの薬剤が周術期で特に問題になる理由は、麻酔・鎮痛薬との重大な薬物相互作用にあります。MAO-B阻害薬はモノアミンの代謝を広く阻害するため、セロトニン系の薬剤と併用した場合にセロトニン症候群を誘発するリスクがあります。これが原則です。
セロトニン症候群の主な症状は、発熱・筋強剛・意識障害・自律神経の不安定化(頻脈・血圧変動・発汗)です。こうした症状が術後に現れると、術後合併症や手術の影響と鑑別が難しくなり、発見が遅れると生命を脅かす事態に発展します。
さらに見落とされがちなのが、MAO-B阻害薬とオピオイドの組み合わせです。術中・術後鎮痛で広く使われるフェンタニルやレミフェンタニルは、弱いながらもセロトニン再取り込み阻害作用を持つことが知られており、MAO-B阻害薬が残存している状態での投与はセロトニン症候群のリスクを高めます。フェンタニルは日常的に使われる薬剤だけに、見落としが発生しやすいポイントです。
加えて、MAO-B阻害薬はオピオイドの肝代謝を阻害する側面もあり、オピオイドの血中濃度が予想以上に上昇してしまうケースも報告されています。オピオイドが禁忌というわけではありませんが、MAO-B阻害薬との併用リスクを意識した管理が不可欠です。
MAO-B阻害薬(エフピー・アジレクト等)の薬理解説(天沼きたがわ内科)
MAO-B阻害薬の術前休薬は、多くの施設でセレギリン・ラサギリン・サフィナミドの3剤すべてについて14日間を目安としています。これはMAO-B阻害薬が酵素活性を不可逆的または長期にわたって阻害するため、薬剤の投与を中止してもMAO活性が完全に回復するまでに相応の時間が必要だという薬力学的根拠に基づいています。
ここで注意が必要なのは、「14日」という数字がすべての場面で絶対的な基準ではないという点です。実際、複数の施設の休薬一覧には「患者のADLと術中リスクに応じて、休薬されない場合があります」という注記が付いています。
つまり、休薬するかどうかの最終判断は、神経内科医・麻酔科医・外科医が連携して行うべきものであり、一律に「全員14日間休薬」と単純に割り切れるものではありません。
休薬のリスクとして見落とされやすいのが、パーキンソン病症状の悪化です。MAO-B阻害薬を2週間休薬することで、日常生活においてすくみ足・転倒・嚥下困難が顕在化するケースがあります。高齢者では術前に体力を落とさないことも手術成績に直結するため、ADLと術後リスクのバランスを個別に評価することが求められます。
緊急手術のケースでは、そもそも14日間の休薬が物理的に不可能です。このような場面では、「MAO-B阻害薬が残存している」という前提で麻酔管理を組み立てることになります。具体的には、オピオイドを可能な限り避けてアセトアミノフェンやNSAIDsで疼痛管理を行い、やむを得ずオピオイドを使用する場合には少量から慎重に投与することが求められます。
- 術前14日間の休薬が原則(セレギリン・ラサギリン・サフィナミドいずれも)
- ADLや術中リスク次第で休薬しない選択肢もある(神経内科・麻酔科への相談が必須)
- 緊急手術ではMAO-B阻害薬残存を前提に麻酔管理を行う
- 休薬中もパーキンソン病症状の増悪に注意する
なお、手術当日の朝の内服については「通常どおり内服を継続する」のが原則です。MAO-B阻害薬ではなく、レボドパなどその他の抗パーキンソン病薬のことを指します。MAO-B阻害薬だけを14日前に中止し、他の抗パーキンソン病薬は手術当日朝まで継続するというのが基本的な考え方です。
MAO阻害薬の術前休薬期間一覧(香川県立中央病院):セレギリン・ラサギリン・サフィナミドの休薬目安14日と注記の詳細確認に有用
パーキンソン病患者の麻酔管理には確立された唯一の正解はなく、症例報告やケースシリーズに基づいた経験的な判断が中心です。しかしながら、「避けるべき薬剤」と「比較的安全な薬剤」についてはある程度のコンセンサスが存在します。
🔴 避けるべき・慎重投与の薬剤
- オピオイド(フェンタニル・レミフェンタニル等):MAO-B阻害薬との併用でセロトニン症候群リスク。筋強剛を増悪させる可能性もあり。使用する場合は少量から
- プロポフォール:ジスキネジアを増悪させる可能性がある。脳定位手術(DBS)では特に避ける
- ハロタン(吸入麻酔):カテコールアミン感受性を高め不整脈誘発リスクがある
- 脱分極性筋弛緩薬(サクシニルコリン):悪性高熱類似症候群のリスクがある
- ドロペリドール、ハロペリドール等の抗精神病薬:中枢性ドパミン拮抗作用でパーキンソニズム-高熱性症候群(PHS)を誘発
🟢 比較的安全とされる薬剤
- チオペンタール(静脈麻酔):安全性が報告されている
- イソフルラン・セボフルラン(吸入麻酔):現時点では比較的安全とされる
- 非脱分極性筋弛緩薬(ロクロニウム等):パーキンソン病悪化の報告なし
- アセトアミノフェン・NSAIDs:術後鎮痛の第一選択
重要なのは体位変換です。パーキンソン病患者は自律神経障害を合併しているケースが多く、起立性低血圧を起こしやすい状態にあります。麻酔導入後・術中の体位変換に際しては血圧変動に細心の注意を払う必要があります。これは基本です。
また、カテコールアミン(エフェドリンなど)の投与に際しては、MAO-B阻害薬が体内に残存している場合、カテコールアミンの効果が増強する可能性があることも念頭に置くべきです。慎重投与が条件です。
術後管理こそ、パーキンソン病患者において最もインシデントが起きやすいフェーズです。特に「術後嘔気への対応」は、現場で安易に行われやすいだけに危険度が高くなっています。
制吐剤の選択で命取りになるケースがある
術後に嘔気が出た場合、反射的に処方されがちなメトクロプラミド(プリンペラン)とプロクロルペラジン(ノバミン)は、パーキンソン病患者には原則として禁忌です。これらは中枢性ドパミン受容体を拮抗するため、服用・投与後に急速なパーキンソン症状の悪化が生じます。歩行・嚥下・体幹機能の悪化が数時間単位で進むこともあり、誤嚥性肺炎や転倒骨折に直結するリスクがあります。
代わりに使用するのはドンペリドン(ナウゼリン)です。ドンペリドンは血液脳関門を通過しにくく、末梢性の消化管運動改善作用を発揮するため、中枢でのドパミン拮抗が最小限に抑えられます。内服が困難な場合には坐薬での対応も可能です。
術後せん妄への対応も一筋縄ではいかない
パーキンソン病患者は術後せん妄を発症しやすく、特にレビー小体型認知症を合併している場合は抗精神病薬に対して極めて過敏に反応します。ドパミン受容体作動薬やアマンタジンはせん妄誘発リスクが特に高い薬剤として知られています。意外なことですね。
せん妄に対して抗精神病薬をやむを得ず使用する場合には、錐体外路系副作用が比較的少ないとされるクエチアピンを検討するのが一般的です。ただし、クエチアピンもゼロリスクではないため、最小限の投与量で慎重に使用することが条件です。
疼痛管理はアセトアミノフェンとNSAIDsを第一選択に
術後鎮痛においてオピオイドはパーキンソン病患者では複数のリスクを抱えています。便秘の増悪、鎮静作用による誤嚥リスクの上昇、呼吸抑制、そしてMAO-B阻害薬が残存している場合のセロトニン症候群リスクなどです。もちろん完全な禁忌ではありませんが、まずアセトアミノフェンとNSAIDsで疼痛管理を試みることが推奨されます。
- 🚫 メトクロプラミド(プリンペラン):中枢ドパミン拮抗→症状急悪化→使用禁止
- 🚫 プロクロルペラジン(ノバミン):同様の理由で禁止
- ✅ ドンペリドン(ナウゼリン):末梢性制吐剤として安全に使用可
- ⚠️ オピオイド:必要最小限、慎重投与
- ✅ アセトアミノフェン・NSAIDs:術後鎮痛の基本
パーキンソン病患者の周術期管理(医學事始):術前・術中・術後にわたる実践的な注意点が神経内科医の視点でまとめられている
消化管手術や術後の嘔吐が続くケースなど、経口薬の投与が困難な状況は決して珍しくありません。このとき問題になるのが抗パーキンソン病薬の継続です。MAO-B阻害薬の休薬と異なり、レボドパをはじめとする抗パーキンソン病薬は中断してはいけません。
抗パーキンソン病薬を突然中断すると、悪性症候群(パーキンソニズム-高熱性症候群:PHS)を誘発するリスクがあります。PHSはドパミン作動薬の急激な離脱によって起こり、発熱・筋強剛・自律神経不安定・意識障害などを呈します。ドパミン作動薬を急速に中止した患者の最大4%で発症するとも報告されており、重症例では死亡例も存在します。これは看過できない数字です。
LEDD(Levodopa Equivalent Daily Dose)の計算と静注への切り替え
経口投与が困難な場合は、元々の内服薬量をLEDD(レボドパ換算1日量)に変換し、静注用レボドパ製剤(商品名:ドパストン)に切り替えます。慣習的には静注量は内服LEDD量の半分程度から開始するとされていますが、内服と静注の明確な換算式は確立されていないため、実際には個別の調整が必要です。
処方例(目安)
内服LEDDが300mg/日の患者の場合。
- 静注ドパミン量の目安は150mg/日程度
- ドパストン50mg+生理食塩水100mLを3時間かけて点滴、1日3回(例:6時・14時・22時)
- 24時間持続点滴でドパミン濃度の変動を抑える方法も選択肢
また、貼付薬のロチゴチン(ニュープロパッチ)も選択肢のひとつですが、元々高用量のLEDDが必要な患者では単独管理が難しく、過去の後ろ向き研究では術前のロチゴチン使用が独立した術後合併症のリスク因子として挙げられたデータもあります(Medicine 2023年)。静注レボドパのほうが確実な投与が期待できるという現場の声は多く聞かれます。
経口摂取が再開できるようになったら、速やかに元の内服レジメンに戻すことが大切です。内服再開を先延ばしにすることがPHSや症状悪化につながるため、「再開できるようになったらすぐ」を原則とします。
✅ 内服不能時のフローまとめ
1. 内服LEDDを計算する
2. その半量相当の静注レボドパ(ドパストン)に切り替える
3. 1日数回に分けて投与(または24時間持続点滴)
4. 経口摂取が可能になったら即座に元の内服を再開
パーキンソン病治療ガイドライン(日本神経学会):悪性症候群・抗パ薬の中断に関する記述が含まれるガイドライン本文
パーキンソン病患者の周術期管理で起きるインシデントの多くは、「担当科同士の情報の断絶」によるものです。外科医はMAO-B阻害薬の危険性を十分に知らず、麻酔科医は術前の服薬歴を把握できていないまま手術室に入り、術後は担当看護師が「嘔気に対してプリンペラン」という慣れた処方を当たり前のように使う—この連鎖がインシデントを生み出します。
英国の麻酔科学会誌(Anaesthesia 2022年)に掲載されたパーキンソン病患者の周術期管理に関するレビューでは、術前の神経内科医・外科医・麻酔科医の綿密な情報共有が最も重要な予防策として強調されています。海外ではパーキンソン病周術期管理のための専門プロトコルを病院単位で整備するケースが増えており、2026年1月のCarenet学術情報でも「プロトコル導入により禁忌薬の処方が大幅に減少した」という報告が取り上げられています。
🔑 多職種連携のための具体的なチェックポイント
- 術前(外来段階):神経内科医がMAO-B阻害薬を含む服薬リストを麻酔科に引き継ぐ
- 手術室入室前:麻酔科医が服薬歴・休薬状況を必ず確認する
- 術後病棟:「パーキンソン病患者にプリンペラン禁止」を病棟スタッフ全員で共有する
- 薬剤師の役割:MAO-B阻害薬の休薬指示が出ているか処方チェックで確認する
- 看護師の役割:制吐剤・鎮静薬などの頓用オーダーに中枢性ドパミン拮抗薬が含まれていないか確認する
情報連携がうまくいかない理由として、「そもそもMAO-B阻害薬が周術期に問題になると認識されていない」ことが挙げられます。パーキンソン病の薬は「脳の薬」として軽く扱われやすく、抗凝固薬や降圧薬のような認知度がありません。しかし実際には、オピオイドや制吐剤という術後に非常に頻繁に使われる薬剤と致命的な相互作用を起こしうる薬剤です。
病棟全体に周知するツールとして、パーキンソン病患者の周術期に「避けるべき薬剤リスト」を術前から電子カルテやベッドサイドに表示しておく仕組みを導入している施設もあります。薬剤師主導でのチェックリスト運用は、現場でのインシデント防止に直結する取り組みとして注目されています。これは使えそうです。
医療従事者一人ひとりが「MAO-B阻害薬が入っている患者」に対して感度を高めるだけで、術後合併症の発生率は確実に低下します。複雑な管理プロトコルよりも、まず「この患者はパーキンソン病で薬を飲んでいる→MAO-B阻害薬の可能性→制吐剤・鎮痛薬に注意」という思考の流れを職種横断で持つことが、現場でできる最初の一歩です。
手術・検査前に休薬を要する薬剤一覧(大阪医科薬科大学病院薬剤部、2025年11月改訂版):MAO-B阻害薬3剤の休薬期間と再開目安を含む最新の実践的一覧