トラマール注(トラマドール塩酸塩)の添付文書を「筋注」と読んで、そのまま筋肉内投与を実施していませんか?日本緩和医療学会ガイドラインは「筋肉内投与は行わない」と明記しています。

トラマール注(一般名:トラマドール塩酸塩注射液)は、日本新薬株式会社が販売する非麻薬性オピオイド鎮痛薬です。1978年に「各種癌及び術後における鎮痛」を効能・効果として承認されて以来、長年にわたり疼痛管理の現場で活用されてきました。1管2mLにトラマドール塩酸塩100mgを含有し、添加剤は一切含まない製剤です。
添付文書に記載された用法・用量は「通常成人にはトラマドール塩酸塩として1回100〜150mgを筋肉内に注射し、その後必要に応じて4〜5時間毎に反復注射する」というものです。つまり、承認された投与経路は筋肉内注射のみです。
それにもかかわらず、なぜ静注が現場で広く行われているのでしょうか?
理由の核心はここにあります。日本緩和医療学会「がん疼痛の薬物療法に関するガイドライン(2020年版)」には、筋肉内投与について「吸収が不安定で、投与の際に痛みが強いため行わない」と明記されています。つまり、添付文書上の正規投与経路が、権威あるガイドラインで「行わない」と否定されているわけです。
この矛盾が、現場での静注・持続静注・持続皮下注という適応外使用の背景となっています。英国では静脈内注射・皮下注射・点滴静注がすべて承認されており、日本だけが筋注のみの承認という状況です。愛知医科大学病院や北信総合病院など、複数の医療機関が院内手続きを経てトラマール注の静脈内投与を正式に承認・実施しています。
また近年は、フェンタニル注射液(テルモ製)の製造工場での問題による供給不足を背景に、2024〜2025年にかけて術後疼痛管理の代替薬としてトラマール注の持続静注を採用する施設がさらに増えています。豊田厚生病院では2025年2月にこの目的での院内承認を公開しています。
愛知医科大学病院:トラマドール塩酸塩注射液の静脈内投与(院内承認文書)
静注による使用が現場の実情とはいえ、医療従事者として法的・制度的リスクを正確に把握することは不可欠です。
まず、日本においてトラマール注の静脈内投与は保険適応外です。静脈内投与の製剤規格を満たしていないことも日本新薬(メーカー)が公式に認めており、国内での静脈内投与に関する安全性は「十分には確認されていない」と明示されています。
次に重大な点として、万一健康被害が発生した場合、医薬品医療機器総合機構(PMDA)の副作用被害救済制度の対象外になります。入院を要する程度以上の健康被害が発生しても補償が受けられません。これは患者にとっても医療機関にとっても大きなリスクです。
保険適応外であることを理由に、投与そのものを一律に禁止している施設も存在します。一方、院内の倫理委員会や未承認薬評価部門の審査を経て、正式に承認された施設のみで実施するというアプローチが、リスク管理の面で適切と考えられます。
施設として静注を実施する場合には、以下の点を最低限整備する必要があります。
| 対応項目 | 内容 |
|---|---|
| 院内承認 | 倫理委員会・未承認薬評価部門での審査・承認 |
| 患者説明 | 保険適応外・救済制度対象外であることの書面説明 |
| インフォームドコンセント | 患者または家族の署名による同意取得 |
| 診療記録への記載 | 適応外使用の理由・患者への説明内容を診療録に記載 |
保険請求については、保険適応外の投与経路での使用は原則として保険給付の対象にならない点も留意が必要です。これが施設・患者双方への経済的負担につながります。
日本新薬(メーカー公式):トラマール注100のよくある質問 静脈内投与について
院内で承認されている施設での実際の投与方法を整理します。
間欠的静注(ボーラス投与)の場合は、トラマール注1/2A(50mg)または1A(100mg)を生理食塩水50mLに溶解し、15〜30分かけて緩徐に投与します。投与間隔は1〜4時間以上あけて反復投与可能で、最大投与量は原則として1日300mg/dayです。
持続静注の場合は、5倍希釈(10mg/mL)が標準的です。静聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院の緩和ケアマニュアルでは、シリンジポンプを使用した4倍希釈(12.5mg/mL)のプロトコルが提示されています。具体的には、トラマール注3A(300mg)+生理食塩水18mL=合計24mLとして、0.2mL/時(=60mg/日)から開始します。
| 投与方式 | 希釈・調製 | 開始速度 | 最大量 |
|---|---|---|---|
| 間欠的静注 | 50〜100mg + 生食50mL | 15〜30分かけて投与 | 300mg/day(痙攣リスク高:200mg/day) |
| 持続静注(4倍希釈) | 3A(300mg)+ 生食18mL / 計24mL(12.5mg/mL) | 0.2mL/時(60mg/日) | 同上 |
| 持続皮下注(2倍希釈) | 2A(200mg)+ 生食4mL / 計8mL(25mg/mL) | 0.1mL/時(60mg/日) | 同上 |
投与速度の増量は意識清明・呼吸回数10回/分以上を確認した上で、8時間ごとに行います。これが原則です。
重要な配合変化として、pH8.45以上の薬剤と混合すると塩基が析出し沈殿が生じることが確認されています。点滴ラインへの混注時は、薬剤部への事前確認が必須です。
なお、モルヒネ(経口30mg)との等価換算でのトラマール注の静注・皮下注換算量は150mgとされており(日本緩和医療学会換算表)、経口トラマール300mgを静注・持続皮下注に切り替える際の換算目安は200mg/dayです(経口と静注の換算比は1.5:1)。
北信総合病院(緩和ケアチーム):トラマール注100 注射薬標準投与法
非麻薬性とはいえ、トラマール注の静脈内投与には複数の重大な副作用リスクが存在します。
重大な副作用(いずれも頻度不明または低頻度)
- ショック・アナフィラキシー:頻度不明。初回投与時は特に患者状態を注意深く観察する
- 呼吸抑制:高用量投与・他の中枢神経抑制薬との併用で増強する
- 痙攣(けいれん):筋注の臨床試験でショックが0.2%に報告されている。痙攣は用量依存性あり
- 意識消失・依存性:長期使用での依存性も念頭に
中でも特に注意が必要なのがセロトニン症候群です。トラマドールはセロトニン再取り込み阻害作用を併せ持つため、SSRI・SNRI・MAO阻害薬・リネゾリドなどのセロトニン系薬剤との併用で、錯乱・激越・発熱・発汗・ミオクローヌス・下痢などの症状が生じることがあります。発症すれば40℃以上の高熱、横紋筋融解症、播種性血管内凝固症候群(DIC)、腎不全にいたることもある重篤な状態です。
これは知っておくべき重要な点です。「トラマールは麻薬じゃないから安全」という認識のままSSRIと組み合わせると、命に関わるリスクが生じます。
痙攣リスクのある患者への対応については明確な制限があります。
| 患者背景 | 対応 |
|---|---|
| てんかん・痙攣発作の既往 | 最大投与量を200mg/dayに制限(通常の300mg/dayから引き下げ) |
| SSRI・SNRI・三環系抗うつ薬の併用 | セロトニン症候群・痙攣リスクの増大。原則として慎重投与または代替薬検討 |
| MAO阻害薬の使用 | 中枢神経系の副作用増強のおそれがあり、原則禁忌 |
| 腎機能障害(高度) | 排泄遅延による蓄積リスクがあり投与間隔の延長を検討 |
また、比較的頻度の高い副作用(5%以上)として悪心が報告されています。制吐剤の予防投与は「してもしなくてもよい」が、悪心の既往がある患者や消化器がん患者ではノバミン・オランザピンなどの予防投与を検討するのが現実的です。
KEGG医薬品情報:トラマール注100 添付文書(副作用・相互作用の詳細)
2024年末から2025年にかけて、テルモ製フェンタニル注射液の製造停止・供給不足が日本全国の医療機関に深刻な影響を与えました。日本麻酔科学会・日本集中治療医学会が相次いでフェンタニル使用制限の声明を発出する中、トラマール注の持続静注が術後疼痛管理の代替薬として脚光を浴びました。
これは単なる緊急対応にとどまりません。この経験が示したのは、「トラマール注の静注プロトコルを事前に整備しておくことが、医療機関のレジリエンスを高める」という教訓です。
弱オピオイドとしてのトラマール注の特性は、強オピオイド(フェンタニル・モルヒネ・オキシコドン)の代替として活用できるケースが一定数あることを意味します。特に、下記のような場面での戦略的活用が考えられます。
- 強オピオイドに切り替える前の橋渡し薬:NSAIDs・アセトアミノフェンで不十分な中等度疼痛で、まだモルヒネほどの強さが必要でない患者への対応
- 麻薬管理手続きを簡略化したい場面:トラマドールは麻薬指定を受けていないため、麻薬管理のコストや手続きを回避できる
- 術後疼痛管理のフェンタニル不足時の代替プロトコル:持続静注プロトコルを院内で事前に整備しておくことで、供給不足時にも迅速対応できる
一方で、弱オピオイドであるがゆえの限界もあります。1日最大投与量が300mg/dayであり、これを超えても鎮痛効果の上乗せは期待できず、むしろ痙攣リスクが高まります。300mg/日相当でコントロール不十分な場合は、早めに強オピオイド(モルヒネ・オキシコドン・ヒドロモルフォン・フェンタニル)へのスイッチングを検討するのが原則です。
また、ワルファリン使用中の患者への投与は推奨されません。トラマドールはワルファリンの抗凝固効果を増強する可能性があり、北信総合病院の院内標準投与法でも「ワルファリンとの併用は推奨しない」と明記されています。
等価換算(オピオイドスイッチング時の目安)
| 投与経路 | モルヒネ経口30mgとの等価換算量 |
|---|---|
| トラマール注(静注・皮下注) | 約150mg/day |
| トラマール経口 | 300mg/day(添付文書上の換算値はモルヒネ経口60mgに相当) |
| トラマール経口→静注切替 | 経口の約2/3量(換算比1.5:1) |
この数字を基準として活用すれば計算しやすいです。ただし、個体差や痛みの安定度によって実際には大きな変動があるため、換算表のみに頼らず、投与後の患者観察が不可欠です。
豊田厚生病院:トラマール注100 持続静脈内投与による術後疼痛管理(院内公開文書・2025年)
日本緩和医療学会:がん疼痛の薬物療法に関するガイドライン2020年版 薬理学的知識(投与経路・換算表収載)