眼圧が正常でも、1日1回の点眼で眼圧がさらに下がることがあります。

ネタルスジル(一般名:ネタルスジルメシル酸塩)は、米国のAerie Pharmaceuticals社(現Alcon社傘下)が創製したROCK阻害薬です。米国では2017年に「Rhopressa®」として、欧州・英国では「Rhokiinsa®」として、韓国では「Rhopressa®」として既に承認・販売されており、グローバルではリアルワールドでの使用経験が積み上がっています。日本では参天製薬がライセンスを取得し、2025年7月30日付で製造販売承認を申請済みです。
同じROCK阻害薬として日本で先行販売されているリパスジル(グラナテック®)と比べると、ネタルスジルの最大の構造的差異はNET(ノルエピネフリン輸送体)阻害作用を併せ持つ点にあります。グラナテックはROCK阻害のみ。これが基本です。
NETは毛様体上皮に存在し、ノルエピネフリンの再取り込みを担います。ネタルスジルがNETを阻害すると、交感神経系の活性が抑制され、毛様体での房水産生量が減少します。つまり、線維柱帯流出路の改善(ROCK阻害)と房水産生抑制(NET阻害)という、2つの独立した眼圧低下機序が1本の点眼液で得られます。これは使えそうです。
さらに、注目すべき薬理特性として活性代謝物AR-13503の存在があります。ネタルスジルは体内(角膜・前房内)で代謝され、AR-13503という活性代謝物を生成します。AR-13503自体にもROCK阻害活性が認められており、親化合物と代謝物の双方が眼圧下降に寄与するという「二段構えの薬理」が本剤の特性を形成しています。加えて脂溶性が高く角膜透過性に優れるため、刺激感が比較的少なく、効果の持続時間も長い点も報告されています。
投与法は1日1回点眼であり、1日2回が必要なグラナテックと比べ、患者のアドヒアランス向上に直結する利点もあります。
| 比較項目 | ネタルスジル | リパスジル(グラナテック) |
|---|---|---|
| 作用機序 | ROCK阻害+NET阻害 | ROCK阻害のみ |
| 活性代謝物 | AR-13503(ROCK阻害活性あり) | なし(主な代謝物に活性なし) |
| 投与回数 | 1日1回 | 1日2回 |
| 眼圧下降効果(比較試験) | 平均4.7 mmHg↓(22.6%) | 平均3.0 mmHg↓(14.3%) |
| 日本の承認状況 | 承認申請中(2025年7月) | 承認済み・販売中 |
参考:参天製薬 STN1013900承認申請プレスリリース(2025年7月30日)
参天製薬:緑内障・高眼圧症の治療点眼剤STN1013900(ネタルスジルメシル酸塩)の日本における製造販売承認申請について
眼圧は、毛様体で産生された房水が線維柱帯→シュレム管→集合管→上強膜静脈という「主流出路(conventional outflow)」と、毛様体筋→脈絡膜上腔→強膜という「ぶどう膜強膜流出路(uveoscleral outflow)」の2経路から排出されるバランスで規定されます。この2経路が基本です。
現行の第一選択薬であるプロスタグランジン(PG)関連薬は、主にぶどう膜強膜流出路を促進することで眼圧を下げます。これに対し、ネタルスジルはPG製剤が「手をつけていない」線維柱帯主流出路の流出抵抗を直接低下させます。これが、2剤の作用機序が相補的となる理由です。
ではROCKはなぜ線維柱帯に関与するのでしょうか。ROCKは線維柱帯細胞内でアクチンストレスファイバーの形成を促進し、細胞を収縮・硬化させます。さらに細胞外マトリックス(コラーゲン、フィブロネクチンなど)の産生を亢進させ、線維柱帯組織全体を「硬い状態」に保つよう働きます。原発開放隅角緑内障(POAG)では、この線維柱帯の細胞骨格変化・細胞外マトリックス蓄積が房水流出抵抗増大の主因と考えられています。
ネタルスジルによるROCK阻害は、このアクチンストレスファイバー形成を脱重合させ、線維柱帯細胞を「やわらかく」します。結果として細胞間スペースが広がり、房水がシュレム管へスムーズに流れ込めるようになります。つまり線維柱帯の「目詰まり」そのものを解消するアプローチです。
加えて、ネタルスジルは上強膜静脈圧を低下させる効果も確認されています。上強膜静脈圧は眼圧の下限を規定するいわゆる「眼圧の床」であり、ここを下げることで従来の薬では達しえなかった低い眼圧値を目標にできる可能性があります。正常眼圧緑内障では、眼圧は統計的正常範囲内でも患者個人の視神経にとって過大な負荷となっていることがあり、このアプローチは特に意義を持ちます。
参考:ネタルスジルのROCK阻害薬としての作用機序について詳述した解説記事(自由が丘清澤眼科)
涙小点狭窄は、緑内障に対するネタルスジル(Netarsudil)治療の潜在的な副作用です(自由が丘清澤眼科)
日本国内での第Ⅲ相試験(ランダム化多施設並行群間試験)では、開放隅角緑内障または高眼圧症患者245名を対象に、ネタルスジル0.02%(1日1回)とリパスジル0.4%(1日2回)を4週間にわたって比較しました。結果は明確でした。
ベースラインの平均日内眼圧はネタルスジル群で20.5 mmHg、リパスジル群で20.8 mmHgとほぼ同等。4週後の平均日内眼圧は、ネタルスジル群が16.0 mmHg(ベースラインから4.7 mmHg↓、22.6%低下)、リパスジル群が17.7 mmHg(3.0 mmHg↓、14.3%低下)となり、ネタルスジルの優越性が統計的に有意に示されました(p<0.0001)。1mmHgの差は小さく見えますが、4.7対3.0 mmHgという差は眼圧管理において臨床的に無視できないレベルです。
さらに、ラタノプロスト0.005%との併用第Ⅲ相比較試験では、既にPG製剤を使用している患者へのネタルスジル追加で、相加的な眼圧下降が実証されています。PG製剤は副流出路(ぶどう膜強膜流出路)に作用し、ネタルスジルは主流出路(線維柱帯流出路)に作用するという作用機序の非重複性がこの相加効果の背景にあります。PG製剤とROCK阻害薬の組み合わせが合理的な理由はここにあります。
海外のデータも重要な参考値を提供しています。J Glaucoma誌2025年7月掲載の前向きランダム化試験では、前視野緑内障または早期緑内障患者90眼を対象に、ネタルスジル0.02%はドルゾラミド2%と比較してより大きな眼圧低下をもたらし、かつ黄斑部血管密度や視神経乳頭血流指標という眼血流パラメータも改善しました。この眼血流改善効果は、ROCK阻害による血管平滑筋弛緩作用が寄与していると考えられています。
参考:ネタルスジル0.02%とリパスジル0.4%の比較に関するカレントケアネット学術情報
ネタルスジル0.02%、リパスジルより原発開放隅角緑内障の眼圧低下効果が優れる(CareNet)
これは医療従事者が見落としやすい視点です。ネタルスジルはたしかに「眼圧を下げる薬」ですが、正常眼圧緑内障(NTG)においてその意義は単純な眼圧値の低下にとどまりません。
日本の緑内障患者の約70%は正常眼圧緑内障(眼圧21 mmHg以下)とされています。これは世界の中でも突出して高い割合です。NTGでは眼圧が正常範囲であっても視野障害が進行し、その病態には「線維柱帯の機能不全による眼圧変動の増大」と「視神経への血流障害」の2つが複合的に関与していると考えられています。
ネタルスジルが特にNTGと相性が良い可能性がある理由は3点あります。第一に、線維柱帯主流出路に直接作用することで、PG製剤では十分に対処できなかった「流出路の機能改善」によって眼圧変動幅そのものを縮小できる可能性があること。第二に、上強膜静脈圧の低下により、眼圧が正常範囲でも個人にとって過大な"眼圧の床"を引き下げられる可能性があること。第三に、ROCK阻害による血管拡張効果が視神経乳頭の微小循環を改善し、血流が不安定になりやすいフラマー体質(低血圧・夜間血圧低下・冷え性・片頭痛傾向)の患者に有効な可能性があること。眼圧下降以外の効果が期待できる点は注目です。
なお、基礎研究レベルでは網膜神経節細胞の障害抑制や軸索再生の抑制解除といった「視神経保護作用」の可能性も報告されていますが、臨床的に確立した効果ではありません。処方時に過大な期待を患者に与えないよう、情報提供の際はエビデンスの強さに言及することが必要です。これは必須の配慮です。
また、ネタルスジルはラタノプロストとの配合点眼薬(海外名:Rocklatan®/Roclanda®)も開発・承認されており、将来的には「主流出路改善+副流出路促進」を1本でカバーする選択肢として日本でも登場する可能性があります。多剤点眼が負担となっているNTG患者へのアドヒアランス改善という観点でも、この動向は押さえておく価値があります。
参考:新薬申請の意義とROCK阻害薬の創薬ターゲットとしての考察(note pharma_insight)
参天製薬の新緑内障治療薬「ネタルスジルメシル酸塩」申請の意義と治療戦略上の位置づけ(note)
ネタルスジルの副作用で医療従事者が最も把握すべきは、その頻度の高さと種類の多様性です。副作用の把握が患者の治療継続率を左右します。
最も頻度が高いのは結膜充血で、国内第Ⅲ相試験ではネタルスジル群の54.9%で報告されています(リパスジル群では62.6%)。この充血はROCK阻害による血管平滑筋弛緩、すなわち血管拡張作用が原因です。多くの場合、軽度から中等度で一過性ですが、患者が「目が赤い」と感じて受診したり、点眼を自己中断したりするリスクがあるため、処方時に「しばらく赤みが出ることがあるが、視力には影響しない」と事前に説明しておくことが重要です。
次に注意が必要な副作用として角膜渦状混濁(cornea verticillata)があります。これは角膜上皮下に薬剤が沈着することで生じる渦巻き状の混濁で、視力には通常影響しませんが、細隙灯顕微鏡所見として認識できます。点眼継続中に発見されることが多いため、定期的な前眼部診察が必要です。
さらに、FDA有害事象報告システム(FAERS)データベースを用いた薬剤疫学研究(BMC Pharmacology and Toxicology誌2025年4月)では、添付文書記載外の21の新たな有害事象シグナルが同定されました。アレルギー性眼瞼炎、眼そう痒症、涙管狭窄、近視化、角膜出血などが含まれ、多くは投与開始後1か月以内に発生することが示されました。涙管狭窄については「涙小点狭窄」として複数の症例報告があり、継続投与例での涙道への影響については注意が必要です。
副作用マネジメントの観点では、結膜充血が問題となる患者では点眼時刻の調整(就寝前点眼による日中の充血回避)が有効な場合があります。投与開始時刻は添付文書に従いつつ、患者のライフスタイルを確認するのが有益です。
参考:FAERSデータベースを用いたネタルスジル安全性解析(CareNet)
ネタルスジルの安全性、FDAデータベースから新たな副作用シグナルを特定(CareNet)
緑内障薬物療法において、ネタルスジルはどの段階で使う薬なのでしょうか。現行の緑内障診療ガイドライン(日本眼科学会、第5版)では、目標眼圧が達成できない場合に作用機序の異なる薬剤への変更または追加を推奨しており、ネタルスジルはこの文脈で複数の局面で活躍できる薬剤です。
PG製剤単剤では目標眼圧に届かない症例への追加としての位置づけは最も強固です。PG製剤はぶどう膜強膜流出路を改善し、ネタルスジルは線維柱帯主流出路を改善するため、作用機序の非重複性から相加効果が期待でき、国内第Ⅲ相試験で実証済みです。PG製剤を基盤として、ネタルスジルを2剤目として追加するパターンが日本での最初の主要ユースケースになると予測されます。
PG製剤が使用できない症例(眼周囲脂肪萎縮・眼瞼溝深化などのPAP副作用が問題となるケース、または炎症眼でのシスタノイドマキュラーエデマリスクが懸念されるケースなど)では、ネタルスジル単剤を主軸とする選択肢が浮上します。ROCKの特性上、PG製剤の副作用が起こりにくい点は選択を後押しします。
正常眼圧緑内障かつPG製剤で十分な眼圧低下が得られていない症例では、眼圧の「床」を下げる上強膜静脈圧低下作用と眼血流改善効果を含む多面的なアプローチが期待できます。日本の緑内障患者の約7割がNTGである現実を踏まえると、この適応は臨床上極めて重要です。
グラナテック(リパスジル)との使い分けについては、今後日本でネタルスジルが承認されれば、新規処方の多くがネタルスジルに移行する可能性が指摘されています。1日2回から1日1回への点眼回数の減少と、NET阻害による産生抑制の上乗せは、同じROCK阻害薬カテゴリ内でも明確な差別化要因となります。既にグラナテックで眼圧コントロール中の患者をネタルスジルに切り替える際は、副作用プロファイルの変化(特に充血・角膜渦状混濁)の有無を1〜2ヶ月で再評価することが現実的です。
承認後は配合点眼薬(ネタルスジル+ラタノプロスト)の日本での承認申請も想定され、多剤点眼が治療アドヒアランスの障壁となっている患者への朗報となりえます。今後の動向をアンテナを立てて追うことが、緑内障診療のアップデートとして必要です。
参考:次世代緑内障点眼薬としてのネタルスジルとグラナテックの比較解説(真鍋眼科)
次世代の緑内障点眼薬はこれ! ネタルスジルとグラナテックの比較(真鍋眼科)