「緑内障」の患者には抗コリン吸入薬をすべて使えない、という判断で治療機会を逃しているケースが今も後を絶ちません。

抗コリン吸入薬は、気道の平滑筋に存在するムスカリン受容体(主にM3受容体)へのアセチルコリン結合を阻害することで、気管支収縮を抑制し気道を広げます。COPD治療の第一選択薬として位置づけられており、長時間作用型(LAMA)と短時間作用型(SAMA)に分類されます。
現在国内で使用されている主な抗コリン吸入薬は以下のとおりです。
| 分類 | 一般名 | 主な商品名 | デバイス |
|---|---|---|---|
| SAMA | イプラトロピウム | アトロベント | pMDI |
| LAMA | チオトロピウム | スピリーバ | ハンディヘラー/レスピマット |
| LAMA | グリコピロニウム | シーブリ | ブリーズヘラー |
| LAMA | ウメクリジニウム | エンクラッセ | エリプタ |
| LAMA | アクリジニウム | エクリラ | ジェヌエア |
LAMAはその名のとおり24時間以上の持続効果をもち、1日1回吸入で管理できることが服薬アドヒアランスの向上につながります。それだけに、継続使用を前提とした副作用モニタリングが重要です。
抗コリン作用に由来する主な副作用は下記のカテゴリーに分けられます。
- 消化器系:口渇(最多・スピリーバ国内試験で15.5%)、便秘、消化不良、イレウス(頻度不明・重大な副作用)
- 泌尿器系:排尿困難、尿閉(前立腺肥大合併例で特に注意)
- 眼科系:眼圧上昇、急性閉塞隅角緑内障発作(頻度不明・重大な副作用)
- 循環器系:心房細動(頻度不明)、心不全(頻度不明)、期外収縮(1%未満)
- 過敏症:発疹、蕁麻疹(頻度は稀)
口渇が最も多い副作用です。スピリーバ(チオトロピウム)18μg吸入の国内承認時データでは、110例中30例(27.3%)に副作用が報告され、うち口渇が17例(15.5%)を占めました。「吸入薬だから全身副作用は気にしなくていい」という考えは危険です。
実際の服薬指導では、口渇に対する対策として「吸入後のうがい・水分補給」「加湿器の活用」「飴や氷をなめる」といった非薬物的アドバイスが有効です。口渇の多くは使用開始後90日以内に発現するとされており、この初期段階での丁寧なフォローがアドヒアランス維持のカギとなります。
抗コリン吸入薬の副作用・作用機序について包括的に解説されている日本製薬メーカーの公式情報はこちらで確認できます。
スピリーバ吸入用カプセル18μg 添付文書(ベーリンガーインゲルハイム)
医療従事者の間でも「緑内障があれば抗コリン薬は全面禁忌」という認識が根強く残っています。しかし、これは2019年以前の古い知識です。
2019年6月18日付の薬生安通知(厚生労働省)により、抗コリン薬の添付文書が全面的に改訂されました。改訂のポイントは明確です。
- 改訂前:緑内障(種類を問わず)→ 禁忌
- 改訂後:閉塞隅角緑内障 → 禁忌 / 開放隅角緑内障 → 慎重投与(新設)
緑内障には大きく「開放隅角緑内障(≒正常眼圧緑内障)」と「閉塞隅角緑内障」の2種類があります。抗コリン作用が散瞳を引き起こし隅角を狭める問題は、急性閉塞隅角緑内障においてのみ本当に深刻なリスクとなります。開放隅角緑内障では急激な眼圧上昇は基本的に起こりません。
重要な疫学的事実があります。日本における緑内障の約9割は正常眼圧緑内障を含む開放隅角緑内障であり、閉塞隅角緑内障は比較的少数です。つまり、薬局や病棟で「緑内障があります」とおっしゃる患者さんのほとんどは開放隅角緑内障と考えて差し支えありません。
閉塞隅角緑内障は急性発作が起こりやすいため手術適応となることが多く、点眼薬で長期管理されている患者さんは「開放隅角」とみて問題ないのが原則です。
ただし、確認の手順は踏むべきです。LAMA処方が開始された緑内障患者には「眼科受診時に吸入薬が追加されたことを告げ、閉塞隅角でないことを確認してもらう」よう指導することが現場での適切な対応となります。
これが条件です。つまり「緑内障=禁忌」という思い込みでLAMAを使えないCOPD患者が生じれば、適切な呼吸器治療の機会を失わせることになりかねません。
緑内障と抗コリン薬の禁忌改訂について、薬剤師向けの詳細解説はこちらで確認できます。
抗コリン作用を有する薬剤における禁忌「緑内障」等に係る添付文書改訂について(PMDA)
COPDの患者層は高齢男性が多く、その多くが前立腺肥大症を合併しています。抗コリン薬の副交感神経抑制作用は膀胱排尿筋の収縮を弱め、尿道括約筋を収縮させる方向に働くため、前立腺肥大症による排尿障害がある患者には原則禁忌とされています。
「吸入薬だから全身吸収は最小限」と油断しがちなポイントです。しかし実際には、吸入後に気道粘膜や口腔粘膜から一定量の薬剤が消化管へ移行し、全身へ吸収されます。前立腺肥大症合併例でLAMAを投与した際に排尿障害が悪化したケースは臨床現場でも経験されており、添付文書にも明記されています。
特に問題となるのは、COPD診断時に前立腺の状態を把握していないケースです。COPD患者の典型像は70歳前後の男性であり、その年齢層における前立腺肥大症の有病率は無視できません。処方開始前に排尿症状のスクリーニングを行うことが安全管理の基本となります。
前立腺肥大症の排尿障害がある患者にどうしても気管支拡張薬が必要な場合は、LABAへの切り替えが選択肢となります。LABAとLAMAは気道平滑筋に対する呼吸機能改善効果はほぼ同等とされており、排尿障害リスクを回避しながら治療継続が可能です。
医師・薬剤師が連携してスクリーニングを行うことが重要です。処方チェックの際に「前立腺関連薬の併用がないか」「排尿困難を訴えていないか」を確認するフローを日常業務に組み込むと、未報告の副作用を早期に拾い上げられます。
循環器系への影響は、抗コリン吸入薬において軽視されがちな副作用領域のひとつです。しかし近年のリアルワールドデータは、この問題を無視できないことを示しています。
2025年10月にAdvances in Therapy誌に発表された香港の後ろ向きコホート研究では、COPD患者においてLAMA治療群はLABA治療群と比較して心房細動の発症リスクが有意に高いことが明らかになりました。心室性頻拍・細動、急性冠症候群、虚血性脳卒中、心不全による入院については両群間で有意差はなく、心房細動リスクに特有の差が認められた点が注目されます。
チオトロピウム(スピリーバ)の添付文書でも、心不全・心房細動・期外収縮が重大な副作用として記載されています。特に心房細動の頻度は「頻度不明」とされており、見落とされやすい項目です。
意外ですね。COPDと心房細動の合併は珍しくなく、COPD患者における心房細動の有病率は一般集団に比べて高いとされています。こうした背景疾患をもつ患者にLAMAを長期投与する場合は、定期的な脈拍確認と必要に応じた心電図チェックが推奨されます。
実臨床でのアクション手順はシンプルです。COPD患者のフォローアップ時に「不規則な脈・動悸・息切れの増悪」を定期的に問診し、異常があれば循環器科へのコンサルテーションを検討することが安全管理の一助となります。
COPD患者の心血管イベントとLAMA・LABAの比較研究について詳細はこちらでも確認できます。
COPD患者の心血管イベント、LAMAはLABAより心房細動リスク高い(CareNet Academia)
「吸入薬なら認知機能への影響は少ない」という前提で高齢COPD患者にLAMAを継続投与しているケースは多いです。しかし、最新のエビデンスはその前提を慎重に見直す必要があることを示しています。
2025年12月にJournal of Alzheimer's Disease誌に掲載されたスウェーデンの全国規模登録研究では、74,018例の認知症患者を対象に分析が行われました。結果として、吸入抗コリン薬(LAMA/SAMA)の使用群は非使用群と比べて死亡リスクが1.73倍(粗ハザード比)と有意に高かったことが報告されています。
研究者らは、この関連性は主にCOPDそのものという基礎疾患によるものと考察しています。つまり、抗コリン吸入薬が直接的な死亡原因であるとは断定されていません。しかし臨床的に重要な事実があります。認知症患者はせん妄・認知機能の急性悪化のリスクが高く、抗コリン作用の中枢神経系への影響を無視できません。
日本老年医学会の「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン」においても、抗コリン薬は認知機能障害や認知症リスクと関連する可能性がある薬剤として注意喚起されています。特に高齢者では、記憶障害や実行機能障害を惹起する可能性があるとされており、認知症合併例および高齢者では「使用を控えるべき」と記述されています。
これは見逃せないデータです。現場での対応として求められるのは、「認知症を合併したCOPD患者へのLAMA処方を見直す際に、呼吸器科と老年科・薬剤師が連携してBenefit/Riskを評価する」プロセスを院内で整備することです。
特に入院・外来いずれの場面でも、高齢COPD患者のLAMA処方時には下記の確認を習慣化することが推奨されます。
- 認知機能スクリーニング(HDS-RやMMSEの直近評価)
- せん妄の既往・高リスク因子の確認
- 他の抗コリン作用薬との重複確認(日本版抗コリン薬リスクスケール活用)
「抗コリン薬リスクスケール(ARS)」は、高リスク薬(スコア3)・中リスク薬(スコア2)・低リスク薬(スコア1)に薬剤を分類したツールです。吸入LAMAはスコア1(低リスク)に分類されることが多いものの、多剤併用でスコアが累積すると認知機能への影響が生じやすくなります。
吸入抗コリン薬使用の認知症患者における死亡リスクに関する詳細は以下で確認できます。
吸入抗コリン薬使用の認知症患者、死亡リスクが高い可能性(CareNet Academia、2025年12月)
日本老年医学会による高齢者への抗コリン薬リスクスケールの解説はこちらを参照ください。