板厚6mmのステンレスをTIG多層盛りで溶接すると、1m当たり約1,943円かかります。

通常のTIG溶接では、アークは母材に向かってベル形状に広がります。熱伝導によって母材表面から順に溶かしていくため、板厚が増すほど多層盛りが必要になり、V開先やU開先の加工が必須です。これが「従来TIGの常識」として現場に定着しています。
キーホール溶接TIGは、この常識を根底から覆す溶接法です。アークを極限まで絞り込んでエネルギー密度を高め、溶融金属を強制的に押し分けて母材を貫通させます。この貫通穴が「キーホール」と呼ばれ、鍵穴のような形に見えることからその名前がつきました。
| 項目 | 従来TIG溶接 | キーホール溶接TIG |
|---|---|---|
| アーク形状 | ベル形(広がる) | 絞り込み型(集中) |
| 溶け込み方式 | 熱伝導型 | 貫通型(キーホール型) |
| 開先加工 | 板厚4mm超は必要 | I形突合せで不要 |
| パス数(6mm例) | 3パス程度 | 1パス |
| 対応板厚(SUS) | 制限なし(多パス) | 片面1パスは3〜9t程度 |
トーチを進めると、溶融金属はキーホールの壁面を伝って後方に回り込み、凝固しながら連続したビードを形成します。これにより表側と裏側の両方に美しいビードが同時に形成されます。つまり1パスで完全溶け込みが得られるということです。
一般的なTIG溶接でも、水素やヘリウムのような比熱の大きなガスを使用することで熱的ピンチ効果によりアークがある程度絞り込まれます。しかし、純粋なアルゴンシールドだけでは、この効果だけでキーホールを安定して形成することは技術的に難しく、専用の装置設計が必要になります。キーホール形成には熱伝導型の熱的ピンチ効果が不可欠という点が、技術的なポイントです。
参考:プラズマ溶接の仕組みとキーホール溶接の原理について詳しく解説されています。
プラズマ溶接とティグ溶接の違いおよびキーホール溶接について|日鉄溶接工業
キーホールを形成・維持するうえで、シールドガスの選択は仕上がり品質と溶接コストに直結します。これは大きなポイントです。
通常のTIG溶接ではアルゴン100%が標準ですが、キーホール溶接TIGではガス種類と混合比を変えることで、アークの絞り込み具合を意図的にコントロールできます。以下の選択肢が現場でよく使われます。
大陽日酸が開発した「サンアーク DS-TIG アドバンス溶接トーチ」では、内ガス(Ar+H₂のPHサンアーク)と外ガス(アルゴン)を分離した二重シールド構造を採用しています。この構造により、少ない流量で混合ガスの効果を発揮しながら、高価なシールドガスの消費量を抑制できます。これは使えそうです。
溶接ガスのコストは見落とされがちですが、TIG溶接ではガスを長時間流し続けるため、ガス単価の差が累積コストに響きます。SUS304・6tの突合せ溶接で1m当たりのガスコストを比較すると、従来TIG(アルゴン・10L/min)では約140円であるのに対し、プラズマキーホール溶接ではアルゴン25円+水素2円の合計27円程度になります。ガスコストだけで約5分の1以下に抑えられることがわかります。
参考:アルゴン+水素混合ガスの特徴・注意点・用途についての現場目線の解説があります。
TIG溶接におけるアルゴン+水素混合ガスの効果と注意点|上村製作所
裏波溶接において最も重要なのは「キーホールの大きさを一定に保つ」ことです。これが基本です。
キーホールが形成されない場合、溶融金属が裏側に届かず裏波ビードがそもそも形成されません。一方でキーホールが大きすぎると、裏波ビードの幅や高さが過大になり、スラグ焼き付きや外観不良の原因になります。写真で見ると一目瞭然ですが、両者の違いは明確です。
キーホールの形成と維持に影響する主な変数は次の通りです。
ステンレス鋼は溶融金属の表面張力が炭素鋼(SS400等)より大きいため、キーホール溶接における適正条件の幅が比較的広い傾向があります。これが、SUS304ではI形突合せ片面1パスで対応できる板厚が3〜10mmと、炭素鋼の3〜6mmより広い理由の一つです。
また、バックシールド(裏側のシールド)も忘れてはならない要素です。ステンレス鋼管の片面裏波TIG溶接では、裏波ビードが大気酸化すると外観劣化だけでなく、耐食性の著しい低下につながります。従来はアルゴンガスで管内部を充填するバックシールドが標準でしたが、大径管では充填に時間とガスが大量に必要で、内部に人が立ち入った場合の窒息リスクも伴います。
こうした課題に対して、フラックス入りTIG溶加棒(コベルコ製TG-Xシリーズなど)を使う方法があります。溶加棒が溶融するとスラグが生成され、表裏のビード両面を覆って酸化を防ぐため、バックシールドを省略できます。ただし、このタイプの溶加棒は1層目の裏波溶接専用であり、2層目以降に適用するとスラグ巻き込みなどの融合不良が起きやすいため注意が必要です。
参考:フラックス入りTIG溶加棒によるバックシールド省略工法の詳細と注意事項が解説されています。
バックシールド不要なステンレス鋼用フラックス入りティグ溶加棒の活用法|ぼうだより技術がいど
「キーホール溶接=プラズマ溶接専用」という思い込みは、現場で広く持たれています。意外ですね。
確かに、プラズマ溶接は水冷インサートチップ(ノズル)によってアークを強制的に絞り込む構造を持ち、キーホール溶接を行うための仕組みが最初から備わっています。しかし、その分だけ専用の溶接電源・トーチ消耗品が高額で、条件パラメータが多く条件設定が複雑という課題がありました。
これを解決するために開発されたのが大陽日酸の「サンアーク DS-TIG アドバンス溶接トーチ」に代表されるDS-TIG(キーホールTIG)です。TIG溶接トーチの電極冷却方式を改良し、熱伝導型の熱的ピンチ効果を強化することで、一般的なTIG溶接機ベースでキーホール溶接を実現します。
| 比較項目 | プラズマ溶接(キーホール) | DS-TIG(キーホールTIG) |
|---|---|---|
| 設備投資 | 専用電源・トーチが必要で高額 | 既存TIG設備を活用しやすい |
| 消耗品コスト | ノズル等の消耗品が高め | プラズマより低コスト |
| 条件パラメータ数 | 多く、条件設定が複雑 | 少なく、条件出しが容易 |
| キーホール形成力 | 強力(SUS最大10mm程度) | プラズマに近い水準 |
| メンテナンス | 定期的なノズル交換が必要 | 部品点数少なく容易 |
DS-TIGは二重シールド構造を採用しており、内ガスでアーク形状をコントロールし、外ガスでシールドを担います。このため混合ガスの効果を少ない流量で発揮でき、ガスコストの抑制にもつながります。プラズマ溶接の特長を持ちながら、TIG溶接機の使いやすさに近い運用ができる点が現場での導入ハードルを下げています。
ただし、どちらの方式においても、キーホール溶接が最適に機能する板厚レンジ(SUSの場合は概ね3〜9t)を外れると、1パス完全溶け込みの優位性は失われます。厚板への適用では、キーホール溶接でルート部のみを貫通させ、残りを余盛溶接で補う組み合わせ工法が採られることが多くなります。用途を正確に見極めることが条件です。
参考:DS-TIGアドバンス溶接トーチの開発背景と技術的な仕組みが詳述されています。
キーホール溶接向けDSキーホールTIG溶接トーチの開発|大陽日酸技報
「キーホール溶接を導入したのに思ったほど効果が出ない」という声は、適用範囲の見誤りに起因することが少なくありません。結論はシンプルです。
キーホール溶接TIGが最もコスト効率を発揮するのは、厚肉・長尺の突合せ片側溶接(ロングシームなど)です。前掲の日鉄溶接工業のコスト比較表でも、1m溶接当たりの工賃に着目すると、従来TIG(工賃1,000円)に対してプラズマキーホール(工賃180円)と約5倍以上の差があります。これほどの差がつく最大の理由は「パス数」です。
たとえばSUS304・6tの突合せ溶接を1mあたりで比較した場合、従来TIGは3パス・所要時間20分であるのに対し、プラズマキーホールは1パス・所要時間3.6分に短縮されます。作業時間で言えば約5.6倍の開きがあります。8時間勤務で考えれば、従来TIGで完了できる溶接長さが24m程度であるのに対し、キーホール溶接では133mを超える計算になります。差は歴然です。
一方、短い溶接長さ・複雑な形状・頻繁な段取り替えが発生するような加工では、キーホール溶接の準備工数(条件出し・装置セットアップ)がかえってコスト増になる場合があります。また、溶接条件や開先の精度管理が厳しく求められるため、ロット数が少ない多品種少量生産への適用は慎重に判断する必要があります。
キーホール溶接TIG導入の判断基準として押さえておきたいポイントは以下の通りです。
現場で条件が合う工程を特定することが最初のステップです。全工程にキーホール溶接を適用しようとするより、「この工程だけ切り替える」と限定することで、投資対効果が明確になります。まず適用可能な工程を書き出してみることが具体的な行動につながります。
参考:プラズマキーホール溶接の具体的なコスト比較表と適用事例が掲載されています。
プラズマ溶接のメリット・コスト比較・適用事例|日鉄溶接工業 溶接Q&A