T4が低いだけでチラーヂンを処方すると、約50%の症例で不要な投薬になります。

チラーヂンS錠100μgは、あすか製薬が製造販売するレボチロキシンナトリウム(合成T4)製剤です。錠剤は黄色の素錠で、割線なし。剤型ラインナップは12.5μg・25μg・50μg・100μgの4種類があり、犬の体重に合わせて複数錠を組み合わせて使用します。
本来はヒト用に承認された医薬品ですが、犬の甲状腺機能低下症の治療においても、動物医療の現場で広く使用されている薬です。獣医師が診断・処方する形で、動物用医薬品として正規に取り扱われています。
レボチロキシンナトリウムは生体内に存在する甲状腺ホルモン(T4)そのものです。つまり、適切な量を投与している限り、いわゆる「副作用」は本来起きにくい薬剤とも言えます。過剰投与になったときに初めて甲状腺機能亢進症様の症状が出現するため、「量が多すぎた状態」を副作用として捉えるのが正確です。
100μgという規格は、体重5kgの犬なら1回1錠でちょうど20μg/kgの基準量になる、非常に実用的な規格です。小型犬から中型犬に使いやすい錠剤と言えます。
| 規格 | 錠剤の色 | 主な使用対象(犬体重の目安) |
|---|---|---|
| 25μg | 淡赤色(割線入り) | 超小型犬〜1.5kg未満 |
| 50μg | 白色(割線入り) | 2〜5kg程度 |
| 100μg | 黄色 | 5〜10kg程度(1回1〜2錠) |
貯法は「遮光・室温保存」です。湿気や光に弱い薬剤であるため、処方時に飼い主への保管指導も重要です。
参考:チラーヂンS錠の規格・成分情報
◆チラーヂンS錠|人体用医薬品|動物医療関係者の通販 - VETSWAN(製品規格・成分の詳細情報が確認できます)
犬へのチラーヂン(レボチロキシン)の基準投与量は、体重1kgあたり10〜20μgとされています。これが原則です。
チラーヂンs錠100μgを基準にすると、体重5kgの犬では1回1錠(100μg)、体重10kgなら1回1〜2錠、体重40kgの大型犬では1回8錠にもなります。東京ドームのグラウンドほどの広さをイメージする必要のない計算ですが、大型犬での錠剤数が現場でのハードルになることはよく経験します。
投与回数は1日1〜2回が一般的で、食事の影響を受けにくくするために空腹時(または食事の30分前)の投与が推奨されています。実際の投与タイミングは担当医の指示に従いますが、ヒトでも同様に「朝食前の服用」が推奨されていることと同じ理由です。食事に含まれる食物繊維やカルシウムが吸収を妨げることがあるためです。
開始時は低用量から始めることが大切です。心疾患・糖尿病・アジソン病といった併発疾患を持つ犬では、甲状腺ホルモンを急激に補充すると代謝が急変し、心負荷増大などのリスクがあります。安全のために「低用量スタート・漸増」が鉄則です。
治療開始から1〜2週間で元気消失や高脂血症などの代謝指標に改善が見られることが多いですが、皮膚症状や神経症状は改善に数週間〜数ヵ月かかることがあります。飼い主への説明は「すぐに全部よくなるわけではない」という点を丁寧に伝えることが重要です。
参考:動物医療における投与量の実例解説
ワンちゃんの甲状腺機能低下症について|野並どうぶつ病院(投与量・モニタリングの臨床的な解説があります)
2024年に発表されたJournal of Veterinary Internal Medicine掲載の論文(Travail et al., 2024)では、一次診療施設でチラーヂン(レボチロキシン)を処方された102頭の犬を調査した結果、「約半数が誤診、または確かな診断とは言えない」という衝撃的な結論が出ました。
つまり、現場の獣医師の約2人に1人が、不要なチラーヂンを処方していた可能性があるということです。
この原因として最も大きいのが「Euthyroid Sick Syndrome(ユーサイロイド・シック・シンドローム)」の存在です。これは甲状腺の機能自体は正常であるにもかかわらず、他の疾患(腫瘍・感染症・クッシング症候群・糖尿病・慢性腎不全など)や薬剤(ステロイドなど)の影響でT4値が低下する状態です。意外ですね。
T4が低い ≠ 甲状腺機能低下症。これが原則です。
特に注意すべきなのが、クッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)との混同です。クッシング症候群のある犬では、コルチゾールが甲状腺ホルモン分泌を抑制するため、T4が低値を示すことがあります。ある獣医内科の専門家は「甲状腺機能低下症とクッシング症候群の真の併発はかなりまれ」と指摘しており、両診断が同時についている場合は再精査が必要です。
正確な診断には以下を組み合わせることが求められます。
2022年のイギリス一次診療施設での大規模調査(O'Neill et al.)では、905,553頭中に新たに甲状腺機能低下症と診断されたのは359頭(0.04%)、有病率は0.23%でした。日本でゴールデンレトリーバーやドーベルマンなど好発大型犬の飼育が少ない点を考慮すると、日本での発生率はさらに低い可能性があります。
「チラーヂンを飲ませている子が多すぎる」という現場感は、過剰診断・過剰治療の可能性を示唆しています。これは問題ですね。
参考:誤診50%を示した論文の解説(獣医療従事者向け)
甲状腺機能低下症に関する四方山話|FUJIFILM Veterinary(Euthyroid sick syndromeの臨床的意義を詳しく解説しています)
チラーヂン投与を開始したあとは、定期的な血液検査によるモニタリングが欠かせません。これが基本です。
最も重要なポイントは、採血タイミングです。血中T4濃度は投薬後の時間経過によって大きく変動するため、毎回同じタイミングで測定することが原則です。理想的なタイミングは投薬後4〜6時間目。このタイミングで測定したT4値が「正常範囲内やや高め」で安定していることを目標とします。
投薬直前(トラフ値)で採血すると低値になりやすく、8時間以降ではすでに数値が下がっています。採血時刻がずれると用量判断を誤るため、「何時に投薬して何時間後に採血したか」を記録することが大切です。
治療開始直後や投薬量変更後は数週間ごとに検査を実施し、安定したあとは3〜6ヵ月ごとの定期検査に移行します。
確認すべき検査項目は総T4だけではありません。甲状腺機能低下症は全身代謝に影響するため、以下の項目を合わせて評価します。
投薬量が多すぎると甲状腺機能亢進症の症状が現れます。頻脈、パンティング(ハアハアした呼吸)、落ち着きのなさ、水をよく飲む、体重減少などが出てきたら過剰投与のサインです。これは注意が必要です。
逆に投薬量が少なすぎれば元気がなくなり、体重増加・脱毛の改善が見られません。定量的な評価を繰り返しながら「個別の犬に合った最適な維持量」を見つけることが長期管理のゴールです。
参考:モニタリング評価項目の詳細な解説
甲状腺機能低下症のモニタリング|Wholly Vet(血液検査の各項目と採血タイミングについて詳細にまとめられています)
犬の甲状腺機能低下症は、副腎皮質機能亢進症(クッシング症候群)に次いで多い内分泌疾患です。中高齢(おおむね5〜10歳)での発症が多く、一部の品種では若年での発症も報告されています。
好発犬種として報告されているのは、ゴールデン・レトリーバー、ラブラドール・レトリーバー、ドーベルマン、オールドイングリッシュシープドッグ、ビーグル、コッカースパニエルなどです。これらは意外なことに、日本で多く飼育されているチワワ・トイプードル・柴犬なども臨床では見られますが、欧米の論文に挙げられる好発犬種とは若干異なる傾向があります。
症状は多岐にわたり、見逃されやすいものが多いのが特徴です。代表的な症状は以下の通りです。
血液生化学検査では、甲状腺機能低下症の犬の約75%で高コレステロール血症が見られると報告されています。「コレステロールが高い犬」に出会ったら、甲状腺機能低下症のスクリーニングを検討するひとつの手がかりになります。
重要な事実があります。原発性の甲状腺機能低下症は「低下した甲状腺機能が自然回復することはない」という点です。つまり、チラーヂンs錠100μgをはじめとしたレボチロキシン製剤は、診断が確定した後は生涯継続投与が必要になります。
「しばらく飲めば治る薬」ではないことを飼い主に丁寧に説明することが、アドヒアランスを高め、長期的な管理成功のカギとなります。飼い主が「治った」と思って自己判断で投薬を中止するケースは少なくなく、再発・悪化につながる大きなリスクです。適切な投薬継続の動機付けと定期受診の必要性を、初診時から一貫して伝えることが医療従事者の重要な役割です。
参考:犬の甲状腺機能低下症の病態と臨床症状
甲状腺機能低下症<犬>|みんなのどうぶつ病気大百科(症状・治療・予防について飼い主向けにわかりやすく解説しています)